通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第2章 20万都市への飛躍とその現実

第5節 躍進する北洋漁業と基地の発展

2 日ソ漁業条約成立後の日ソ漁業関係

日ソ漁業条約の成立

国営漁区問題

個人漁業家の進出

ソ連漁業家と函館

ソビエト通商代表部函館支部

ソ連漁場の日本人労務者

日本人労務者の雇用中止

漁撈長相互会の反対運動

日ソ漁業条約の成立   P581−P582

 大正6(1917)年、ソビエト政権の誕生で両国の漁業関係は新たな段階に入った。大正14年1月20日、「日本国及ヒ「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦トノ関係ヲ律スル基本的法則ニ関スル条約」が締結され、日本とソ連新政権との国交正常化が実現し、同時にソ連新政府は、明治40年の日露漁業協約に基づく露領漁業権を正式に確認した。
 基本条約第2条には、「「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦ハ千九百五年九月五日ノ「ポーツマス」条約カ完全ニ効力ヲ存続スルコトヲ約ス」として、ポーツマス条約を全面的に継承することを認め、第3条においては「両締約国ノ政府ハ本条約実施ノ上ハ千九百七年ノ漁業協約ノ締結以後一般事態ニ付発生シタルコトアルヘキ変化ヲ考量シ右漁業協約ノ改訂ヲ為スヘキコトヲ約ス」として、社会主義国ソ連邦の誕生といった新事態を考慮して、日ソ両国の新たな漁業関係の枠組みとなる条約改訂交渉が開始されることになった。
 改訂交渉は大正14年12月モスクワで始まり、2年1か月という長い歳月を費やし、昭和3(1928)年1月13日に調印された。改訂交渉が長期化した原因は、漁区の取得方法についての意見対立にあった。すなわち、日本側は、旧漁業条約に基づく漁業権益の維持を眼目に交渉に臨んだのに対し、ソ連側は、新体制の下で登場した国営企業やコオペラチブ企業(協同組合)には、競売によらず、優先的に漁区を取得する権利を留保しようとしたのである。
 このソ連側の要求は、日本側にとっては、旧漁業協約の基本理念を根底から否定するもので、長年開発してきた優良漁区がことごとくソ連側に奪われてしまう恐れがあり、露領漁業者には到底受け入れ難い要求であった。一方ソ連側にとっても、産業・経済の国営化は、いわば社会主義国家の国是であり、簡単に引き下がることができない重要問題であった。
 このため交渉は幾度か暗礁に乗り上げ難行したが、最終段階で妥協が成立し、辛うじて調印にたどり着くことができた。新たに結ばれた日ソ漁業条約は、条約本文及び議定書甲乙丙、最終議定書、交換公文、会議録など6つの付属文書からなり、条約文書には、漁業区域、漁区の取得方法のほか、国営企業の優先権、缶詰工場の設置、労働保護等、旧協約にはみられない条項が含まれていた。ここでは、その後、両国間の漁業関係で紛糾の原因となる漁区の取得問題を取り上げておこう。
 新漁業条約においても、旧漁業協約と同様、ソ連側は、日本国民に河川及び入江を除くソ連極東水域で水産動植物(オットセイ、ラッコを除く)を捕獲、採取して加工する権利を与えること(第1条)、漁区の貸付は競売に依り、日本国民とソ連邦人民に何等の差別を設けないこと(第2条)、漁区を租借した日本国民は、漁区内の陸地を自由に使用する(漁船・漁網の修繕、漁獲物の陸揚げ、加工、貯蔵、これらに必要な建物の建設)権利をもつこと(第3条)などの条項が盛られている。条約本文をみる限り、漁業権の行使と取得方法については旧漁業協約とほとんど同じ内容をもっていた。
 しかし、漁区の貸付方法を定めた第2条には、漁区の競売を定めた一般規定に続いて、「例外として両国が合意した漁区は、競売によらず貸付することができる」(同条2項)という条項が付け加えられた。そして、その例外となる漁区について、「国営企業に対してその企業が自ら利用する場合、競売によらず漁区の貸付けを許与することができる」(最終議定書第1部)として、ソ連国営企業は、競売によらず、漁区を優先的に取得できることになった(競売によらない例外漁区には日本の既存缶詰工場に付属する特別契約漁区がある)。
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ