通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 天理教と金光教の動向 |
天理教と金光教の動向 P576−P577 戦時中においては、他の神社と寺院と同じく、近代天皇制の「体制宗教」として挙国一致のもと、戦争に巻き込まれていた天理教も、戦後の民主化のなかで、独自の宗教活動を展開していった。北海道内全体の教会数も昭和21年を機に650台から700台へと徐々に増加している(『伝道報告書』天理大学よふぼく会)。一方の金光教も、戦前の状況は天理教とまったく同一で「体制宗教」の一翼として機能することを余儀なくされた。しかし、戦後になると、初代矢代幸次郎の孫にあたる3代の矢代禮紀(金光教函館教会長)を中心に、現代社会に適応する教団としての内実を整備改革していった。昭和24年以来、強力に推し進められた「御取次成就信心生活運動」にかわる「よい話をしていく運動」はその最たるものである。この矢代の指導のもと、八木幸徳を会長とする函館東部教会も、昭和32年の土台上げ修理、50年の増改築と教会の整備に努めた。高村光正の後継を務める高村恵美子の亀田教会も、昭和46年に道の教師を拝命したあと、懸命な伝道に専心している。金光教の全道における教会数は、戦前と戦後と変わらず、32である(『金光教北海道布教百年史』)。 |
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