通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 母船基地函館の盛況 |
母船基地函館の盛況 P377−P379
昭和33年度の調達状況の内容を表2−4に掲げたが、漁網が更新期にあたっていたため、大きな金額になっていることがわかる。函館は総額の5割程度を占めており、日魯漁業(母船)が全物資を函館で仕入れ、他社は空缶、燃料などを除き京阪神地区の根拠地で仕入れているという。これらのほか、乗組員1万5000人余が市内の歓楽街、温泉街などでざっと1億円は落としているだろうとみられていた(昭和34年6月3日付け「道新」)。 また、毎年出漁時期になると、弁天町など西部地区の雑貨店が独航船相手の売り込みに忙しくなり、一般家庭へのご用聞きはいっさいストップするというような状況で(昭和40年4月23日付け「道新」)、なかには1日で年間の1割、約2000万円を売り上げるという食料品店もあった(昭和63年6月2日付け「毎日」)。 日ソ漁業条約締結によって北洋漁業の先行きが懸念され、業界は北洋一辺倒からの脱却をはかりはじめるが、それでも30年代、40年代は影響力が大きく、金額だけをみると函館からの仕込物資は、昭和49年の約70億円とピークをむかえた(図2−20)。
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