通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第3節 函館の産業経済の変貌
1 北洋母船式サケ・マス漁業の変容と終焉

ブルガーニン・ラインの設定と日ソ漁業条約

昭和31年出漁の函館の独航船

日ソ漁業条約成立後のサケ・マス漁業

母船基地函館の盛況

200カイリ問題による打撃

母船式サケ・マス漁業の終焉

昭和31年出漁の函館の独航船   P374−P376


出漁目前の独航船(原田清悦撮影)
 第1章第3節でふれたように、水産庁は新規の独航船許可申請には、「機船底曳漁船」の廃業(許可の返上)を義務づけてきた。これは、北海道、東北各県の沖合漁場で資源の減少により、過剰になった底曳漁船を、サケ・マス独航船に転換させることによって、削減しようとするものであった。
 30年の許可方針では、独航船の許可の要件として「底曳漁船」の廃業のほかにさらに「以南サケ・マス流網漁船」の廃業を許可の条件に加えた。この漁業は昭和27年、いわゆる北洋漁業再開にあたって、北緯47度以南(昭和30年から48度)のサケ・マス流網漁業を許可制で操業させたもので、30トン以上は大臣許可、それ未満を知事許可とした。北海道沖合の北緯48度以南の海域で操業するサケ・マス流網漁船を、母船式サケ・マス独航船に格上げすることによって、北海道沖合で過剰になったサケ・マス流網漁船を削減し、道内沖合のサケ・マス流網漁船の漁場の北上にともなう漁船の大型化を図ろうとしたものであった(北海道水産部編『続北海道漁業史』)。
 函館を根拠地とする独航船は、当初は許可の適格条件を充たす底曳漁船が少なく、29年には12隻であったが、30年には「サケ・マス流網漁船」も許可の対象になったことから18隻に増え、オホーツク海操業が本格化した31年には25隻と大幅に増加した。
 31年に北洋に出漁した函館の独航船の一覧表を示したが(表2−3)、資料によると漁業協同組合の経営が7隻で、うち6隻が29年から31年まで引き続き出漁し(代船を含む)、1隻が31年から着業している。個人経営は、残り19隻で、29年以後引き続き出漁しているのは6隻(2隻経営が2企業)で、30年から着業しているものは4隻、31年からが8隻である。30年以後に着業した船主は、北海道沖合のサケ・マス流網の実績者であった。
 これら独航船の船主は、ほかにイカ釣り、中型カツオ・マグロ延縄、タラ延縄漁業等を兼営しており、当時の函館の中小漁業家のなかでは中核的存在とみることができよう(「三一年度北洋独航船名簿」、「二九年度漁業許可台帳」)。
表2−3 函館のサケ・マス流網独航船主一覧(昭和31年)
船主名
船名
トン数
母船名(所属船団)
釣谷勧 第11北洋丸
74.31
鹿島丸(日水)
同上 第12北洋丸
72.68
同上
牧村久広 海宝丸
63.67
協宝丸(日魯)
伊藤幸作 漁安丸
84.15
栄光丸 (同上)
北千流網漁協組 第5長進丸
76.01
協宝丸 (同上)
同上 第3北千丸
70.38
同上
函館市漁協組 第2共栄丸
65.96
天洋丸(公社)
函館北東漁協組 第1北東丸
74.21
朝光丸(公海)
三崎誠一 第35大国丸
85.00
同上
同上 銀洋丸
81.16
同上
四野見清蔵 北晃丸
84.61
明晴丸(日魯)
近江政太郎 宝寿丸
84.78
協宝丸 (同上)
油屋幸郎 第8八幡丸
85.00
栄光丸 (同上)
渡島北洋漁協組 第2北鳳丸
84.00
照玉丸(公社)
同上 第3北鳳丸
84.00
喜山丸(日魯)
同上 第1北鳳丸
84.78
信濃丸 (同上)
北由松 第5大北丸
84.88
同上
木村又之丞 第25大国丸
50.20
喜山丸 (日魯)
北村乙吉 第8長栄丸
50.00
照玉丸(公社)
川筋乙五郎 欣照丸
57.00
同上
勢田金次郎 長栄丸
49.90
天洋丸(公社)
岡本五十吾 第8日康丸
51.56
厳島丸(日水)
笠置健吉 つる丸
59.92
同上
松原茂 第5日新丸
不明
喜山丸(日魯)
岩沢弥太郎 末広丸
不明
旭光丸(太洋冷凍)
「31年度北洋独航船名簿」、「29年度漁業許可台帳」より作成
注)着色部分は、北海度沖合サケ・マス流網漁業の実績者
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