通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第2節 地域振興と都市計画の推進
3 都市域の拡大と新たな地域課題

人口移動の実態と中心地の分散化

人口移動がもたらした交通問題

亀田市合併に伴う生活環境問題

都市形成における″文化的ずれ″

都市経営の主体性

都市経営の主体性   P368−P370

  『都市診断 北海道篇』の現状認識は「ただ現状維持」と記載されている。この点について函館商工会議所の理事は、「戦前の函館はいわば植民地的風土、来る者は拒まず、なんでも取り入れる開放性があった。しかし戦後、北洋の権益が失われた上、インフレなども手伝い、一転して今までのストックをいかに守るかに皆が力を注いだ。こうした守りの姿勢が今日まで続いている」と分析する(平成元年3月4日付け「道新」)。投資意欲やフロンティア精神も失ってしまったことが、今日の函館経済に大きく影響している。

建ち並ぶ金森倉庫群(平成元年)
 押し寄せる大手資本の波という観点からみた時、象徴的な事例は昭和63年に開催された「青函博覧会」を契機にウォーターフロント開発や湯川温泉のホテル建設にみられるような函館資本以外による観光開発である。また、西部地区をはじめとするマンション建設ブームも同時期に起こっている。このマンションブームは函館市が実施しようとしていた景観行政と対立することが幾度かあった。つまり、東京資本のマンションが函館の歴史的景観のなかで異様な景色をもたらすことを意味していた(第7編コラム59参照)。この事例について、市民は「マンションは多分、市としては法的にいかんともしがたく建築確認書をだしたのではないかと思います。しかし、市民として残念でやり切れないのは、行政が一方では町並み対策のため四苦八苦の汗を流し、一方隣の机では市の基本政策を反古にしかねない許認可をあえてしている、この矛盾です。」との指摘は重要であろう(昭和63年5月6日付け「道新」)。
 観光開発には、それ自体に観光客のためのまちづくりに傾斜してしまう危険性が含まれている。つまり、現在の都市景観を改変する観光整備は、これまでの歴史の蓄積とともに住民の主体性との断続性をもたらしてしまうリスクがあるのである。この点、函館山と自然保護の関連性から「函館山は市民のオアシス、夜景を見るための踏み台ではない」という南北海道自然保護協会の宗像英雄会長の言葉や(昭和60年7月12日「道新」)、ウォーターフロント開発で成功したヒストリープラザを経営する金森商船の渡辺恒三郎社長の「市民にまず評価されるように、業者自身が努力したことが観光客にも受け入れられた」とする分析などは(平成元年5月25日付け「道新」)、まちづくりの主体性を考えるための大切な指摘だと思われる。
 まちづくりの主体性は、交通問題や行財政改革などを考える際にも重要であろう。「台所は火の車・市税収入や地方交付税が黙っていても二〇−三〇パーセントも伸びることは期待できない。ところが一度膨れ上がった財政はそう簡単には縮小できない。住民要求は逆に強く、また多様化してくる」のである(昭和50年12月2日付け「道新」)。昭和63年3月30日付けの「北海道新聞」が、「財政危機のため、市も人員削減、給料引き下げなど懸命な自主努力を続けてきた。だが、国保、交通両事業のように、住民の理解と協力なしには再建を達成できないのも事実。市側も市民との対話を深めると同時に市民一人ひとりも函館の再建と新時代に向けて歩み出す姿勢が必要になりそうだ」と報道したように、繰り返されてきた都市経営がどこにあるかが理解できよう。
 高度経済成長期における函館市の予算規模は一応右肩上がりで推移してきた。産業基盤の弱さをいつも指摘されながらも、それなりの歳入・歳出を確保してきたのである。
 しかし、「30万都市」として検討の対象とされた時に、函館市はこれまで満足のいく生活環境を達成してきたのだろうか。外と内という関係だけでなく、行政と市民との関係でも課題はなかったのだろうか。
 これまでのような予算規模などの数値を重視した都市経営から、その主体性をどこにおき、どのような形態でまちづくりを進めていくのか、それを検討することが今後ますます求められていくのではないだろうか。
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