通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第5節 教育制度の改革と戦後教育の諸問題
1 占領期第1期の教育(昭和20年8月−23年)

平時教育への転換

戦時教育体制の払拭

教育改革の構想とその実現

6・3・3制の実施

カリキュラム改造運動

社会教育の新たな出発

教員組合の結成

社会教育の新たな出発   P245−P246

 PTA(父母と先生の会)は、戦後、新教育制度の一環として、占領軍の指導のもとに教育民主化の役割を担って成立したものである。昭和21年に来日した米国教育使節団は、父母と先生の会の重要性を強調していたが、CIEは、文部省に対し資料の提供をおこない、示唆を与えた。
 北海道では、昭和21年7月、北海道軍政部教育課長のウルフが、それまで各学校に設置されていた後援会・保護者会の解散を指示し、これらに代わって、父母・教師の自発的な加入による民主的な団体の結成を命じていたといわれる(山崎長吉『北海道戦後教育史』)。
 一方、文部省は昭和22年3月、『父母と先生の会−教育民主化への手引き』を刊行し、PTAの啓蒙をはかっている。北海道庁は、昭和22年3月、PTA結成の通知を発し、新学制の発足と同時にPTAの育成をはかった。これを受けて、函館では、同年の新学期を期して、各学校では従来の後援会・保護者会を改組してPTAが組織されている。つづいて同年10月23日には、小学校PTA連合会が結成され、同年6月には、中学校PTA連合会の結成をみている。北海道PTA連合会の結成は、翌23年6月のことである。
 PTAは、児童生徒の心身の健全な発達を究極の目的に、父母と教師が学習し、向上をはかるための社会教育関係団体であるが、戦後の混乱のなかで出発した新学制を軌道に乗せるために、学校後援会的な機能を果たしたことも事実である。函館についても、「新学制発足に伴う校舎建築促進運動、施設充実運動、市教育費予算削減反対陳情、教育費増額運動等、PTA活動は社会教育活動にとどまらず、政治的領域にまで及ぶ幅広い活動を展開した。」といわれる(『函館市教育委員会三〇年誌』)。

入学式の日の教室で(昭和26年頃)
 また、市内の小中学校にいち早く普及をみた社会学級の設置についても、PTAの働きが大きかったことが指摘されている(同前)。文部省は、新憲法の普及をはかるため、成人に関する施策を推進したが、社会学級の設置もそのひとつである。北海道では、昭和22年10月24日付けの「発社第二四二号」によって、成人教養施設、社会学級の委嘱実施を通達した。それは従前の母親学級を改め、一般成人を対象とする「社会学級」の開設を意図するものであった。函館では、昭和22年10月に北海道庁の指定を受けて、若松小学校社会学級が開設され、翌23年1月には常盤小学校に、社会学級が開設され、その後全市の小、中学校に普及していった(昭和25年12月13日付け「道新」)。
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