通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第5節 教育制度の改革と戦後教育の諸問題
1 占領期第1期の教育(昭和20年8月−23年)

平時教育への転換

戦時教育体制の払拭

教育改革の構想とその実現

6・3・3制の実施

カリキュラム改造運動

社会教育の新たな出発

教員組合の結成

6・3・3制の実施   P239−P240

 GHQの下部組織であるCIE(民間情報教育局)は、昭和21年9月頃から新学制実施のための学習指導要領や新教科書の作成を文部省に指示していた。これは、新学制についての教育刷新委員会の建議(21年12月)や新学制実施の閣議決定よりも前のことであり、学校教育法の公布以前のことである。
 文部省は、昭和21年12月初旬に、6・3制の新教育課程の大綱を公表したが、これは教育刷新委員会の建議よりも前のことであった。この時、「社会科」や「自由研究」の設置が計画されている。また同省は昭和22年2月6日、「新学制の実施について」(発学50号)によって、小学校・中学校は22年度、高等学校は23年度、大学は24年度からそれぞれ実施することを発表した。さらに、22年2月17日には「新学制実施準備の案内」を作成し、新学制実施の閣議決定(22年2月26日)後の2月末から3月に全国の市町村、学校へ配布している。この案内によると、「新学制実施準備協議会」を都道府県、郡、市町村に設置することが要望され、高等学校について、義務制でないこと、男女共学、全日制と定時制などが説明されていた。そのうえ、新学制としての6・3・3制の漸進的実施などが表明された。新制高等学校については、22年12月27日「新制高等学校実施準備に関する件」を通達している。通達の別冊「新制高等学校実施の手引」には、理想的な学校配置の図示が添えられているが、そこでは学区制・総合制・男女共学の原則が示されていた。
 また、文部省は昭和22年3月20日学習指導要領(一般編・試案)を作成するとともに、同年中に教科別の学習指導要領を作成している。学校教育法の公布による新学制の成立以前のことである。

新制中学校として発足した旭中学校(『戦後学校教育の五十年』)
 函館市では、昭和22年3月5日に教職員、市民代表、市職員などからなる新学制実施準備協議会が発足し、新しい学校制度が実施に移されていくこととなった。新制中学校は単置校2校、小学校に併置されたもの6校、旧制中等学校に併置されたもの5校のほか、国立1校、私立3校も同時に発足している(『函館市教育委員会三〇年誌』)。
 こうして、戦後の教育改革の結果成立した新制の中学校がスタートしたが、校舎は独立のものは2校にすぎず、その多くは後で述べるように小学校の校舎を利用するものであった。このことが小学校の教育に影響を及ぼし、市内の小学校は「函館市教育界の戦前からの慢性的ガンと目されていた二部授業」を、昭和30年代まで強いられることとなっていくのである(同前)。
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