通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ カリキュラム改造運動 |
カリキュラム改造運動 P240−P244 昭和22年に作成された学習指導要領(一般編・試案)は、従来の教育内容政策を180度転換させる考え方を提示していた。同書はその序章において、「これまでの教育は、その内容を中央できめると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって、教育の実際の場での工夫がなされる余地がなかった。このようなことは、教育の実際にいろいろな不合理をもたらし、教育の生気をそぐようなことになった。」と批判して、「この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応じてうまれた教科課程をどんなふうにして生かしてゆくかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである。」と述べて、教師自身による教育方法研究の重要性をはじめて明らかにしている。教育課程の編成についても、第3章において、「教科課程は、それぞれの学校で、その地域の社会生活に即して教育の目標を吟味し、その地域の児童青年の生活を考えて、これを定めるべきである。」と述べている。教育課程の編成を学校と教師に委ねる方針を示したのである。このような文部省の方針の転換もあり、学校や教師のカリキュラム研究が戦後新教育の中心課題に位置づけられて、活発な運動が全国的に展開されることとなった。新しいカリキュラムの研究は、一部の学校で、すでに昭和21年から始まっていたといわれる。師範学校附属小学校や公立の小学校で、「○○プラン」と呼ばれる多くのカリキュラムが発表された。明石小学校プラン、奈良女高師附属小学校プラン、新潟師範附属小学校プラン、神奈川県福沢小学校の福沢プラン、東京桜田小学校の桜田プラン、千葉県館山市北条小学校の北条プラン、広島県の本郷プランなどは全国に知られたカリキュラムの事例といえる。 当時おこなわれた調査によると、全国で報告された225校のカリキュラムの種類は、コア・カリキュラム研究55校、生活カリキュラム研究48校、社会科カリキュラム研究81校、郷土社会学校研究31校、学校経営の研究10校であったといわれる(仲新『日本現代教育史』)。 北海道では、北海道第一師範学校男子部附属小学校や北海道第二師範学校附属小学校など、コア・カリキュラムの研究が盛んにおこなわれたことが知られている。第二師範学校附属小学校の場合、「この頃の付属教育のスローガンは『生活を、生活によって、生活する』という生活教育を基本とするものであった。現実の生活、具体的経験、生成発達を重視する立場である。この立場からコア・カリキュラムが計画されたのである。」といわれているように(北海道学芸大学付属函館小中学校『創立四十周年記念誌』)、コア・カリキュラムの編成が試みられている。第二師範学校附属小学校の「総合生活課程」の中核課程を示すと表1−47の通りである。附属函館小中学校では、「コア・カリキュラムの編成は昭和二十三、二十四年とおこなわれ、二十五、二十六年は実践期であった。」といわれる。 亀田小学校でも、同様に「教育の方向を『児童生徒の生活を、生活せしめることによって、よりよい生活を創造させる』生活教育に求めた。」といわれている。同校の教育目標および方法は、「日本を平和的、民主的に再建する実践的生活人の育成を教育の目標とし、個性の開発、社会連帯性の強化、郷土に起点をおく文化水準の向上、健康の増進を具体的目標にすえた。教育の目的とプロセスを支配する原則として『教育は経験の改造である』という観点を立てた。」というものであった(『研究紀要第十集』)。 両校の教育内容編成と教育方法の原理は、どちらも生活教育の観点に立つものであったことが知られ、全国的な動向と同様の方向を志向していたことが明らかである。 函館社会科教育懇話会(坂本信一郎会長)でも、昭和23年に、新学期に間に合わせて、小学校および中学校の社会科の学習指導計画案を試案と銘打って公表している。この計画試案では、小学校の場合の単元設定の根本態度として、「児童の生活する社会環境を一応(食糧、衣類、住居、教育、健康、交通・通信・運輸、分配と消費、厚生・慰安、宗教、生産、保全、政治)の12機能としてとらえ、これを地域社会(函館とその附近)の実態と、児童の心身発達に応じて理解させることにより社会科の目標を達成」することをあげている。アメリカにおけるコア・カリキュラムのスコープの設定にならって、社会機能によって教育内容を選択し、児童の心身の発達に応じて配列する方法を採用していたことが明らかである。この計画案の小学校の作業単元系列表を、示すと表1−48のとおりである。
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