通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 選挙結果と函館 |
選挙結果と函館 P127−P129
一方、道南の水産業界を代表する形で当選した平塚常次郎は、日本自由党の北海道支部長(函館支部長も兼任)となり、幣原内閣辞職後の混乱のなかで5月22日に組閣された吉田茂内閣の運輸大臣に就任、日魯漁業(株)の社長を辞任した(副社長の河野一郎が12月に社長となるが、翌年公職追放となる)。北海道から誕生した初の大臣であった。しかし、昭和22年1月4日に公職追放令が改正され、追放範囲が地方および企業に拡大されると、平塚は1月31日に運輸大臣を辞任した。4月15日に日魯漁業のおもな役員の追放が決定され、平塚も追放となった (第1章第3節参照)。このため道南地区出身の衆議院議員はいなくなったのである。それだけに戦後早々の道南地区の「政治力」という点では、「政治力」の羽ばたきという印象は薄らいでいったように思える。
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