通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 乱立する候補者 |
乱立する候補者 P123−P127 昭和20年12月18日、衆議院が解散されると、新聞各紙は「待望の総選挙近づく」「民主政治確立へ第一歩」などの見出しで、新しい選挙法での衆議院選挙への期待を報じた(昭和20年12月21日付け「道新」)。しかし一方では「北海道新聞」の「社説」「婦人参政権と棄権防止」で、「来るべき総選挙における初の投票権の行使は棄権が著しく多い」という悲観的観測のもとに、「政府政党識者が速やかにその根本原因を究明し、棄権防止に乗り出さなくてはならない」と提言していた(昭和20年12月27日付け「道新」)。ところが、解散後すぐ選挙へと進まなかったが、「北海道新聞」は、「改正選挙法の意義没却 旧議会人の勇退者は案外少数」との見出しで、選挙法の改正の意義と戦争責任ならびに現状分析をおこなっている(昭和20年12月27日付け「道新」)。つまり、今回の選挙法の改正は「議会構成の革新と議会中心の国民政治の展開を意図したのに、政府は改正選挙法の提出とその成立だけ」で、具体的措置を講じないばかりか、「政党側も議会において戦争責任に関する決議は可決しながら」、裏付けを具体的に実践しないで、「そのまま頬被りして立候補せんとする老獪なる態度」だ、という。戦争中に閣僚または正副議長を経験した者、「翼賛政治体制協議会」などの指導的幹部は立候補しないことを提唱し、前議員の立候補数が300名を突破するようでは改正選挙法の意義をまったくなくすると主張している。 翌21年1月4日になって、議会解散即選挙公示へとならなかったことが理解できることが起きた。GHQが2つの指令を出したのである。「公務従事に適せざる者の公職からの除去に関する覚書」(SCAPIN-550、いわゆる「軍国主義者の公職追放指令」)と「政党、政治結社、協会及びその他の団体の廃止に関する覚書」(SCAPIN-548、いわゆる「超国家主義団体の解散を指令」)である。幣原内閣は、この指令を総選挙立候補予定者に適用するため、1月30日に「衆議院議員の議員候補者たるべき者の資格確認に関する件(内務省令第二号)」を公布施行し、3月9日までに3384名の資格審査を受け付け、3132名に資格に関する確認書を交付した(日本図書センター『GHQ日本占領史』6)。北海道選出の議員も日本協同党の北勝太郎、日本社会党の正木清以外はすべて追放対象となり、道南地区選出の大島寅吉、渡辺泰邦、真藤慎太郎の3名も例外ではなかった。 3月11日、第22回衆議院議員選挙が告示され、4月10日の投票日へ向けて選挙戦が展開されていった。告示直後内務省から発表された資格確認者には女性が73名含まれていた(昭和21年3月12日付け「道新」)。 北海道は前述のとおり2区に分かれ、第1区は旧1区、3区、4区をまとめた有権者99万6000人余りの大選挙区で、定員は14名(議会提出前の定員15名から1名減)、投票用紙には3名連記することとなった。第2区は定員9名で、2名連記となった。 函館では告示日の11日に会社員林吉彦(45歳、以下歳略)無所属、帝国新聞社社長中村和郎(47)無所属、日本自由党の道会議員で漁業家富永格五郎(53)、日本社会党で北部機帆船会社常務宮岸十次郎(53)、砂子初二郎(72)無所属の5名が函館地裁供託局を訪れ、供託金の手続きをとった(同前)。その後、日本自由党からは日魯漁業社長平塚常次郎(66)、森町の漁業会長川村善八郎(55)が、日本協同党からは八雲町の漁業家米沢勇(44)と農業家幡野直次(56)が、日本共産党からは北海道地方委員会書記長竹内清(55)が、立憲養正会からは会社重役の鎌田専治(45)が、無所属では函館駅助役の館俊三(51)、貸家業白尾宏(64)、佐藤慶吉(48)が立候補した。なお、林吉彦はのち社会党公認となり、砂子初二郎は立候補を辞退し、結局道南地区を地盤とする立候補者は13名となった。 札幌市から15名、小樽市から6名、室蘭市から4名が立候補し、空知支庁をはじめとするその他の地区立候補者33名を合わせると北海道1区の立候補者は定員14名に対して71名となり、競争倍率は5倍強となった。 各党は「天皇制と憲法」「食糧」「インフレ」「産業再建」「失業」「土地」などの政策を掲げて、選挙戦に突入していった(表1−12)。ただ道南地区に限っても、昭和3年の第16回総選挙以来定員3名の選挙は6回あったが、立候補者数が最大だったのは第21回の翼賛選挙(昭和17年)の9名であったから、候補者乱立は歴然としていた。新聞が伝える選挙情勢分析でも、「函館、檜山、渡島の所謂道南地区の地盤や支持層の動向に当選の運命をかけここに言論戦、文書戦を展開する外ない立場にある道南地元候補」ととらえられていて(昭和21年3月28日付け「道新」)、道南地区の候補者は苦戦を強いられる展開となった。
立候補は4月3日で締め切られ、翌日全国の立候補者状況が報道された(表1−13)。総数2781名で定員464名の約6倍、内2635名が新人で全立候補者の約95パーセントに上っていた。前議員と元議員は合わせても146名であったから、新人による革新的な議会構成という意味では一応形は整ったといえるかも知れない。さらに初めて参政権を得た女性候補者も82名が(その後辞退者が出て最終的には79名)、岐阜、滋賀、島根、山口、香川、鹿児島の6県を除く全国の選挙区で立候補した。各党の期待数と予想当選者数も報道されているが、投票率の予想では「全国的には生活問題に気を奪われて選挙民の熱意十分でなく、地域によっては五割以上の棄権が見込まれ」ていた。「特に婦人の棄権率は高く見込まれてをり、日本の民主主義建設のため極力棄権を少なくして、誤りなき一票が投ぜられるやう各方面より要望」され、新生日本の出発点、と期待された総選挙であったが、選挙戦の現状分析から選挙結果への危惧も込められていた(昭和21年4月4日付け「道新」)。なお、この後立候補辞退などもあって最終の立候補者数は2770名となっている(前掲『GHQ日本占領史』10)。 |
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