通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


「函館市史」トップ(総目次)

第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第2節 地方自治の民主化と市政
2 市長候補者公選

市長選出方法が注目される

労働組合などが主導権

公選方法決定

候補者の推薦と選挙結果

市長選出方法が注目される   P130−P133

 4月10日の総選挙では自由党が第1党となったが、絶対多数ではなく、次期の政権をめぐって政党間で駆け引きが続いていた。 4月17日、すでに公表されていた憲法改正草案要綱についで憲法の改正草案が公表され、「議会提出準備全く成る」と報じられた(昭和21年4月18日付け「道新」)。草案の第89条には、「地方公共団体には法律の定めるところによりその議事機関として議会を設置する。地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員はその地方公共団体の住民が直接これを選挙する。」とあって、この憲法が施行されれば、市町村長は住民の直接選挙制となることが明示された。さらに地方制度は画期的な改革が検討されていることも同時に伝えられた。これを受けて「北海道新聞」は、4月20日、「地方自治の確立を期するため政府では地方制度の画期的改革を企画しており」、「地方制度が変われば市長も公選」となると報じた。
 ところで函館市では昭和17(1942)年に市長となった登坂良作の任期は、21年5月31日までであった。市長の選任方法は、昭和4年の地方制度の改正で市会で選挙し本人の承諾があって就任という地方の自治権が拡張する方向に進んでいたが、戦時下の地方制度改正(昭和18年)で、地方の自治権を拡張するどころか、市町村から部落会、町内会に至るまでを国策の浸透機関として再編された。市長も内務大臣が市会にその候補者を推薦させ、勅裁を経て選任することに改められていた。そのうえ、GHQの民主化指令による公職追放がおこなわれて、戦時下の翼賛選挙で推薦候補歴のある者は、4月10日の総選挙には立候補できなかったが、市長や市長を推薦した市会議員に対してはこのような措置がとられていなかったので、戦時中の市長や市会議員はそのまま在職していた。こうした事情のもとで「北海道新聞」は、市長公選の実施は憲法の改正作業との関係もあって、まず市会は現行法で次期市長を推薦・決定し、その後再び公選が生じるので、次期市長に新人物を担ぎ出す危険を敢えておこなわず、現市長再選で進むのが市会の雰囲気であると伝えた(昭和21年4月20日付け「道新」)。案の定、4月27日開催の臨時市政協議会では、市会議員の多くが、当然市長候補者を自分たちが選んで内務大臣に推薦するとの認識で、翼賛選挙の際に非推薦議員となった11名の反対はあったが、登坂良作現市長を推薦するという空気が大勢であった。ついで5月4日の市政協議会では、3名連記で市長候補者の無記名投票を8日に実施すると発表し、市会はこの方法を民主化の第1歩、とコメントを付した(昭和21年5月7日付け「道新」)。ところが、この市会の態度に、「われらの市長は我らの手で選べ」、と市内の各方面から反対の声が起こった。以下、昭和21年5月7七日付けの「北海道新聞」の報道から「反対の声」と「市長公選」の動きをみておこう。

 現在の市会議員の三分の二は戦争責任の元兇たる東条(英機)によつて指導、育成された翼政、翼賛会の推薦による議員であり、彼等は後任市長を推薦する資格は全然ないばかりでなく終戦と同時に一応退陣して実を市民に問ふべきであるにも拘らず、毫も反省の色なく、更に置土産として市民の総意を無視し、市長を彼等の独断的意志により推薦せんとする如きは反動性を暴露したものである。更に全国各地においては、市会が巷に台頭してゐる民意を尊重し、「市会が満場一致で推薦する市長候補者を内務大臣は勅裁を経て任命する」といふ市制七十三条原則を否定し、塩竃市をはじめとし、次いで石巻市では衆議院議員選挙法に準じて公選、更に仙台市においても市長に関し官僚が掌握している権限を民衆の手に帰すべきであると、これを公選してゐるが、函館市会のみは民意を無視、民主化に逆行する如き行為は断じて許されぬ。

 この意見の報道と同一の紙面に、「市長公選」を主張する鉄道労組館俊三執行委員長の談話も掲載された。

 「現在の市会議員は戦犯者とは全く思つてゐない、しかし戦時中しかも翼賛会等から推薦をうけた議員が相当数ゐることは周知の事実である、この多数の議員によつて構成されている処の市会が次期市長を議員のみによつて決めることは、どう考へても民主的でないことは事実であり多言を要しまい」「市会は憲法改正後は公選になり、今選ぶ市長は暫定的なものであると力説してをられるが、仮に短日の市長であつてもわれらの市長として戴く以上は市民の総意によるものでなければならぬではないか」「私はこの際、あく迄も市長の公選を主張すると同時に、もし予算がないといふならば市民は自分の市長を選ぶための費用であるなら喜んで負担することと信じてゐる」。

 社会党函館支部は、7日に代表者が山崎松次郎市会議長を訪問、公選を主張する決議文を手渡した。社会党の主張は、「二十万市民の市長を選ぶためにはあくまで民意を尊重して公選によるべきとし、その方法としては市会議長がその責任において市民各層から候補者を銓衡、同候補者に対して市民投票を行って市長候補者を決定すべし」というものであった。共産党も7日に函館地区委員会を開催、即時公選を決議し、市会議長に申し入れ(昭和21年5月7日・8日付け「道新」)、函館労働組合協議会も8日開催の評議員会で、「われら市民はかかる市会議員によって市政を壟断されるを絶対排するとともに彼等の反動的行動を飽くまで阻止し新函館建設の重任を荷ふ次期市長は飽くまで市民の公選によってこれを決定せんとするものなり」と決議、代表委員が市役所を訪れ、決議文を山崎議長へ手交した(昭和21年5月9日付け「道新」)。
 このような動きのなかで8日、第3回函館市政協議会は正副議長以下議員32名が出席して開催された。山崎議長は社会党支部および共産党函館地区委員会および函館労働協議会代表から市長選任は公選でとの申し入れを受けた旨報告し、3者の提出した決議文を朗読した。これに対して大島議員より「前回の協議会以後情勢が変化し公選の與論が表面化した現在、市政協議会もこれら民意を閑却してはならぬ、市長公選については三団体の申入れに対して同意である、改めて公選を議題として協議を願ひたい」といった動議が提出された。数名の議員から公選原則に賛成の発言があったがまとまらず一旦休憩、再開後も甲論乙駁、候補者選挙投票へとは進まず、13日に続会することを決め散会した(同前)。甲論乙駁の議論のおもなものは表1−17のとおりである。
表1−17 市長公選に対する議論
 
議員名
主張内容
公選主張
大島
東出
方法は別にして公選に賛成、市民の意思を代表する協議会がこの民意を等閑視することは出来ない、公選要求が市民の総意であるなら今から協議会の態度を変更しても差支へない
投票主張
河合
社会党、共産党其他の意見を以って市民の総意と断定するのは至当ではない、意見一致によって投票制を採用したのに拘わらず今から再び協議会の決定を白紙に返すことは一考を要する
公選に反対ではない、しかし現協議会の内容態度は今の市の実情に即したものである、市政協議会の信念に動揺があってはならぬ
中間派
候補者は公選方式により町民の意思を代表する町会長会議において選出せよ、その結果を尊重して市会で市長を推薦決定すべきである
鳥井
社会党その他団体の主張を以て市民の総意とは断定し難いから多数市民の声を聞く方法を考へるべきである、たとへば市内の各階層代表者の会議に公選か又市会を信頼一任すべきかを問ふ必要がある、その結果を尊重して市政協議会は態度を決定する
高木
協議会は投票によって候補者を選び同時に各戸各階層の公選による候補者を選出し両者を睨み合はして最後的候補者を決定しては如何
昭和21年5月10日付け「道新」より作成
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第4巻第6編目次 | 前へ | 次へ