通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 4 函館俘虜収容所の設置 俘虜と強制労働 |
俘虜と強制労働 P1274−P1275 最後に、これらの俘虜の強制労働の問題に触れておこう。表3−44に示すように、函館俘虜収容所の俘虜たちは、収容所内の作業の他に、造船、製鉄・製鋼、港湾荷役、土木、鉱山・炭鉱、工業など収容所外の各現場での強制労働に従事させられた。その苛酷な労働の実態は、当時のイギリス人俘虜たちからの聞き書きを中心にまとめられた田畑智博「埋もれた歴史−函館捕虜収容所秘史−」(『地域史研究はこだて』第8号)や、前記の白戸論文に詳しい。こうした強制労働の結果、函館俘虜収容所でも、多くの患者や死亡者を出している。茶園義男の調査によれば、収容所開設以来の患者発生数と死亡者数は、昭和17年94人・33人(開設以来同12月まで)、18年1396人・85人、19年1034人・14人、20年343人・6人(同6月まで)となっている(前掲『大日本帝国内地俘虜収容所』)。なお俘虜情報局『俘虜取扱の記録』所収の付表によれば、死亡者は、昭和17年度27人、18年度85人、19年度14人、20年度55人、総計181人となっており、前者と較べて、17年と20年の死亡者数が一致しない。
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