通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第2節 戦時体制下の産業・経済
2 戦時下の工業
1 戦時下の諸工場の動向

北海道護謨工業(株)

函館船渠(株)

浅野セメント(株)北海道工場

大日本人造肥料(株)函館工場

函館製網船具(株)

北海道護謨工業(株)   P1143−P1144

 ゴム工業は昭和2年には3工場があり、生産額は101万円、5年には80万円(『函館市統計』)であった。函館商事会社千代岱工場は9年には追分町へ移転して同社の第1工場となった。第2工場は旧函館ゴム会社の松蔭工場であった。そして10年9月には、函館商事会社の資産一切を買収して、資本金80万円の北海道護謨工業が創立された。設備を拡張した北海道護謨会社と東邦ゴム工業および岡田化学工業所を含めた10年の生産額は122万円(『函館産業大観』)であった。本州からの移入額は減少傾向で6年が約28万円と最低であったが、それから上昇して10年には約90万円となっている。
表3−7 北海道護謨工業(株)の動向
年次
総収入金
損益
払込資本
配当率

昭和10
11
12
13
14
15
16
17
18
19

409,738
1,370,018
1,112,681
1,209,347
1,383,619
1,675,340
1,719,369
1,844,729

3,487,726

12,892
7,592
△31,021
65,447
81,895
205,052
82,907
198,191

221,713
千円
600
700
757
800
800
800
800
800

900

6
0
0
0
6
8
6
7

7
各年の『営業報告書』より作成(昭和18年は欠)
注)△は損失
 北海道護謨会社の戦時経済下の経営の推移を見ておこう(表3−7)。同社は創立時に再生ゴム設備を計画して神戸の鉄工所へ再生機械類を発注したが、軍需製品の輻輳のため翌年11月に据付ができるという状況であった。12年には原料ゴム(南方のジャワ産)の価格暴騰と相場の波乱変動に苦しみ、13年には原料の配給割当が上半期は前年の30%、下半期は同じく3%という有様であった。7月には商工省令でゴム靴類の製造・販売は禁止されたので、非禁製品の薄物類と運動靴の製造をはじめている。14年には輸入原料の産地における高騰、為替の低落、運賃保険料の高騰で、原料価格は50%から2倍の暴騰となった。生産量の極端な減少で販売価格は上昇するが、公定価格と共販会社による配給統制で抑制が図られた。製品は北洋漁業向けが輸出品として原料の特別割当を受けたので、漁業会社への販売は14、15年と未曽有の金額であった。それに特免品(内地漁業、農業、鉱山、学童、殖民地、各官庁等)、軍需に一般民需をとりまぜての操業で、これに再生ゴムと自転車タイヤの製造が加わり、6%から8%の配当ができる利益額であった。しかし、16年3月から、再生ゴムの原料である米国からの屑ゴムが輸入禁止となり、国内の屑ゴムを原料とした。17年には太平洋戦争の緒戦の勝利で、「南方大資源ノ一タル原料ノ確保ニ光明ト希望」が見えたと営業報告書に書かれている。19年には労働力として挺身隊学徒動員を受入れている。そして札幌の北門ゴム工業所を合併して札幌工場を建設することとなり、資本金を180万円に増資した直後に敗戦を迎えることになる。
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