通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 商工会議所の改組問題 |
商工会議所の改組問題 P1127−P1128 昭和16年12月の太平洋戦争開始と共に、日本国内のあらゆる機能は、それ以前にもまして戦時体制を支え、強化する方向に一元化されていった。それは、商工会議所や商工会といった地域商工団体においても例外ではない。その背景を、全国商工会連合会編『商工会九十二年史』(昭和48年)は次のように述べる。各業種別組合が昭和14年4月の商業組合法、工業組合法の改正により、法的な統制力を与えられ、さらに、16年8月の重要産業団体令により、統制力を強化された後、商工会議所および商工会が地域経済における商工業各業種相互間の調停や、地方単位での統制機構の運営の円滑を図ることは不可能となった。すなわち法的統制による強力な機能をもった各商工組合の整備拡充とともに、商工会議所及び商工会は、各商工組合と直接の組織的な関連はなくなった。したがって各業組合に対する影響力も地元会議所及び商工会よりは、各業組合の上部機構の方が強くなった。商工会議所法あるいは府県商工会規則という根拠法規をもちながらも商工業者の任意の協力によって成りたっている商工会議所、商工会が法的強制力で全国的機構が整備した統制組合を動かすことは不可能であった。 このようにして、今や商工会議所や商工会といった地域商工団体は、新しい法律の下での再編成が不可避的となった。商工会議所に関しては、日本経済が戦時体制に移行した後の昭和15年9月、当時の近衛内閣による「新体制運動」の展開の下で、地域経済団体としての経済会議所構想が提起された。この案は、会議所を各業種別の団体と並置して新しい経済機構を創設しようというものであった。また、この案に触発された日本商工会議所は、産業部別の統制機構(縦の組織)と地方別の総合的機関(横の組織)との一元的機関として日本経済会議所の設置を考えた(橋爪克己『決戦経済と商工経済会』昭和18年)。しかし、これら経済会議所や日本経済会議所の構想は、いずれも実現することはなかった。 |
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