通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第8節 諸外国との関係
3 函館とロシア・ソ連の関係

ロシア帝国時代の領事と領事館

市民とロシアの関係

最後の帝政領事とロシア革命の勃発

査証官の来函とソ連領事館の開庁

亡命ロシア人たちの暮らし

北洋漁業とロシア語通訳

ロシア語刊行物とロシア語関係団体

最後の帝政領事とロシア革命の勃発   P1035−P1036


レベデフ副領事(『日露実業新報』創刊号、大正4年刊)
 大正元年に大連から赴任してきたレベデフ(F.Lebedev)副領事は、同14年まで函館で暮らした。もっともこの間本国では革命がおき、レベデフの函館での後半生は避難民としてであった。ロマノフ王朝が崩壊すると、函館の新聞にも「函館駐在領事も罷免」、函館は「浦港労兵会」の所轄であり、「在留露人は領事候補者を選挙」などとの記事が掲載された(大正7年5月20日「函日」)。しかし実態は東京のロシア帝国大使の命で、依然ロシア帝国の国旗を掲げてレベデフが執務をしていたのである。大正6年から大正10年までに領事館が取り扱った各種証明書の手数料を掲げておこう(表2−226)。
表2−226 函館領事館各種証明書収入概算表
単位:円
年\種目
海外旅行査証料
健全証明書及航海証明書料
露国人漁夫雇入証明書
諸契約委任状証明手数料
露国人身分証明其他手数料
大正6
7
8
9
10
45,517
36,814
49,629
51,658
6,612
4,280
4,216
4,477
5,366
2,108
217
207
108
178
13
141
147
77
131
68
111
93
186
215
105
50,268
41,477
54,477
58,581
8,908
備考 手数料1通
2,300

1,400
2通を要す

1,500

1,550

4,850
 
「外事警察報」(外交史料館蔵)より作成
注)表中の円以下を切り捨てたので、合計が合わない場合もある
 だがその後、大正10年にウラジオストクのメルクーロフ(S.Merkulov)白系政府と日本政府とに漁業条約が締結されると、一切の事務はメルクーロフ政府側が現地で行うことになり、函館の領事事務は廃止されたのである。そしてソビエト政府がロシア全土を掌握すると、レベデフはソビエト政府からの承認運動に奔走したという。しかしこれは功を奏せず、逆に主義のない人物として不興を買ったということである。また彼は往時日本人漁業家に圧力をかけ賄賂を受けそれを蓄財したので、およそ10万円の資産があったといわれている(「外事警察報」外交史料館蔵)。
 こうして函館に留まっていたレベデフも領事館を離れる時がきた。大正14年日ソ基本条約が締結される運びになると、もはや居場所がなくなったのである。日本政府から避難民の証明書を発給され、家具や食器を競売にかけ、一家は13年間住み慣れた函館を離れた。行き先はメキシコであった。見送りにはハリストス正教会の神父や市内のロシア人漁業家などの顔があったが、市民は薄情だと新聞が書いている(大正14年2月9日「函新」、同年2月17日「函日」)。すでにソ連諸機関との取引も行われていたから、微妙な配慮もあったのかもしれない。

在函館ロシア帝国領事館(『最新函館写真帳』大正3年刊)
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