![]() 通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 1 市民生活の変容とその背景 2 函館の百貨店 百貨店のサービス競争 |
百貨店のサービス競争 P705−P709 マダムからルンペンまでを集客する百貨店は、専用のバスを運行するようになる。![]() ![]() さらに、「駅前へ白木屋、大門前へ三越/二大百貨店開設の噂」(昭和6年3月6日付「函日」)というような中央からの大資本の函館進出も噂される状況もあった。そのなかで ![]() ![]() ![]() 装飾に工夫をこらした大店舗、豊富な品ぞろえの廉価販売、目を惹きつける各種の催し物(表2−172参照)、連日新聞を賑わしている広告(時々、1頁全面を一百貨店の広告が占める)、しばしば行われる夜間営業(夜9時まで、3〜4日間程度、土・日曜日や祝祭日をはさんでおこなわれる)、専用バスによる無料送迎…百貨店の活発な活動は、小売店経営者に大きな影響を与えたはずである。
小売店側は、百貨店の「牙城の虚」をつくことに努力している。ひとつひとつの商品に百貨店では行き届かないほどの考慮を払い、顧客個人への配慮も専門的に充分に「萬全を期する」、というような点であった。必需品などを扱う「ネヴァーリング・ストアつまり近隣店」とか専門店が活動する余地は残っている、とみられていた。 全国的には、百貨店協会が、小売業者との摩擦を緩和するべく「自制案」を協定して、定休日の設定などの申し合せ、実施に移すようになって来ていた。函館では、東京、大阪方面のような深刻な問題があるわけではない、との見方もあって、百貨店の「自制」的動きは大きなものとはならなかった。 しかし、今井呉服店は定休日制をとりいれ(森屋百貨店との話し合いで、まとまらなくても実施するつもりという)、森屋百貨店では、部内での交替休暇制以上のことは考えないが、「赤バス」は中止することになろう、というような動きはみられることとなる(昭和7年10月2日付「函新」)。 昭和初年までの函館の都会的な膨張は、定住人口の継続的な増大のほか、北洋漁業の基地であり、北海道への入口であることによる流動人口にささえられ、その購買力が、百貨店・小売店の摩擦をやや目立たなくしていたようである。 |
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