通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第6節 民衆に浸透する教育

2 昭和初期の教育

2 中等学校

中学校教育の全国的動向

市内中等学校の教育状況

庁立函館工業学校の位置変更

庁立函館商業補習学校の廃止

教化総動員運動の展開

青年学校の発足

市内中等学校の教育状況   P678−P679

 中等学校の教育にも、昭和初頭の不況の影響が色濃く陰を落とし、厳しいものであった。若い学徒がたどる戦時下の生活の予兆の感がある。経済不況の影響はまず、就職難となって卒業生を襲っている。市内の新聞は、「インテリ失業者千三百人にのぼる」という見出しで、学校卒業者の男女失業者の数を報じている(昭和7年8月28日付「函毎」)。一方在学生についても家庭の事情により、中途退学を余儀なくされる者の数が急増していることが伝えられている。「押し寄せる不景気の波…この影響は総ての方面に波及しとうとう無心に学ぶ若わかしい学徒の間にも必然的に及ぼして来た、市内の中等学校でも一二年来家事の都合から、中途退学が相当見えてをるが最近はこの傾向が特に甚だしい」という。具体的には、「函館中学校では第一学期末まで二十二名と早くも昨年より二名を増し」「商業学校も同期末に二十六名で学年末までには昨年度の四十名を遥かに凌駕するだらうといはれ」るような状況にあるというのである(昭和7年9月15日付「函毎」)。新聞の記事は他の学校にも触れているが、ここでは省略する。市内の学校にとり厳しい昭和期の始まりであった。
 先に触れたとおり、昭和の初めに中等学校の入学試験制度が改善され、新制度による入学試験が実施されているが、函館中学校の例でみると、新制度実施の昭和3年の場合、(1)小学校よりの内申成績平均点9点以上、口頭試問の得点25点以上のもの、(2)内申点8点以上、口述点30点以上のものをそれぞれ第一標準、第二標準とし、これら両標準を満たした者を無条件合格とし、次に両標準のうちどちらか一方を欠く者について検討し合格者に加え、さらに補欠を選んでいる。実際の人数は、まず238名が決定され、ついで12名を決め、補欠2名を選ぶという順序で進められている。これが新制度の具体的な実施状況である。なお、昭和6年の「中学校令施行規則」改正の結果、函館中学校でも4、5学年に第一種(就職)、第二種(進学)の両課程が設置された(前掲『七十年史』)。
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