通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第5節 躍進する北洋漁業と基地の発展 2 日ソ漁業条約成立後の日ソ漁業関係 個人漁業家の進出 |
個人漁業家の進出 P584−P587 このほか漁区取得問題で紛糾したのは、ソ連側個人・団体企業の高額入札によって日本漁業家の持つ多数の漁区が奪われ、借区料が大幅に引き上げられたことである。新漁業条約成立後のソ連側の取得漁区は、昭和3年に42か所(14.1%)であったものが、昭和6年には301か所(49.3%)に急増している。この増加は、個人・団体企業の取得した漁区の増加によるもので、この間個人企業等の漁区数は、19か所から213か所に急増し、かつ借区料は昭和3年に7584円であったものが、翌年には一挙に1万7894円に高騰し、以後も大幅に引き上げられている(表2−116)。昭和5年の漁区の競売結果をみると、日本側が256か所(59.4%)、ソ連側の個人及びコオペラチブが175か所(40.6%)の漁区を落札している。だが、日本側が取得した漁区の96.8%(248か所)は無競争漁区であり、両国が競合した西カムチャツカ(通称西カム)、その他69か所の優良漁場の入札では、ソ連側が61か所(89%)と圧倒的多数の漁区を取得したが、日本側は、僅か8漁区に過ぎなかった(表2−117)。つまり、ソ連側は、自由に競売に参加できる個人企業の高額入札によって、日本側の優良漁区を奪還したのである。
ソ連個人企業(私企業)の急激な進出に対して、露領水産組合は、「漁業条約締結ニ関スル商議ノ際露側ノ言明セル国是(社会主義−筆者)ト其ノ企業組織(国営−同)ニ鑑ミルモ亦個人企業者ノ資産信用程度ト国立銀行トノ連絡ニ徴スルモ国営企業ガ個人ノ仮面ヲ被リテ条約ノ精神ヲ蹂躙」し、「露国ノ国家的計画ヨリ出発セル邦人駆逐策」と断じて、政府に「国家的権益確保ノ為不動ノ国策樹立」を請願した(露領水産組合「請願書」外務・農林大臣宛、昭和5年4月)。 こうして昭和5年に両国が取得した漁区は、落札漁区に競売によらないソ連国営漁区と日本側の特別契約漁区を加えると、日本側が55.2%(293か所)、ソ連側が44.8%(238か所)と、ほぼ伯仲の状態となり、昭和10年代に入ると両国の占有率は逆転する。 このようなソ連個人企業の進出は、その目的が、国営企業の漁区獲得と相俟って、極東水域を支配する日本漁業に対する牽制にあったことはいうまでもない。すなわち、ソ連政府は「外国干渉年間に衰退せる地方の露西亜漁業を振興する一条件として、夫れが協同組合たると、残存せる個人漁業家の結束せる確実なる団体たるとを問わず、国庫の参加又は之なくして、主として缶詰事業発達の方面に今後の祖国漁業を導くよう、一時保護政策を採らねばならぬ」として、極東漁業の復興と社会主義化を図るために、旧来の個人企業家が持つ漁業生産の技術と事業経営の経験を利用しようとしたのである(南満州鉄道株式会社編『露領極東の魚類及毛皮資源』上巻、昭和4年)。
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