通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 4 昭和9年大火前後の工業界 工場数と職工数 |
工場数と職工数 P457−P458 職工5人以上の工場数については、函館商工会議所、函館市、北海道の調査による資料があるが、数値はそれぞれ違っている。商工会議所資料によれば、それまでの2百数十工場が7年には300をこえ、大火のあった9年、10年には若干の減少、11年から増加して12年には400をこえる増勢を示している。市と道の史料ではこれより低く、『北海道庁統計書』では10年から300をこえるようになる。このような違いはあっても、規模の大きい5人以上の工場が10年頃から増加していることは明らかである。そして、これら5人以上の工場を含む全工場数は表2−68bにより、12年までは2千数百工場とほぼ一定であることがわかる。業種別(産業別)の工場数をみるが、業種の分類方法についても調査者によっては若干の異同があり、会議所は地元の家内工場を広くとりあげていることがうかがわれる。ここでは市の統計による分類でみてみることにしよう(表2−68)。
次に職工数をみてみると、全職工数については、表2−68bに示すように全工場数が横ばいであるのに、昭和6年の6697人から毎年増加して、12年には、1万1092人となっている。つまり、1工場あたりの平均職工数が6年の2人から、10年には3人に、さらに12年には4人へと増加したことを示している。そして、職工数5人以上の工場の職工数をみると、昭和9年には5000人をこえ、『北海道庁統計書』によると12年には6000人を上回り、15年には7833人となっている。したがって、1工場平均の職工数は6年の14.4人が、9年には17.9人、15年には20.6人と規模が拡大している。業種別の職工数の比率をみると、6年から9年までは鉄工業(機械器具と金属)と食料品工業が全体の20%から30%と交互に首位を占め、3位が約10%台の製材・木製品工業であり、この3業種で約70%となる。そして、化学工業の職工数が次第に増加して9年には10.9%に達している。 なお、昭和10年の国勢調査に基づく『函館市職業別世帯分散状況調査書』(函館市)によると、工業を職業とする世帯主は8725人で、表2−68bの全職工数8825人に近い数字である。内訳をみると、雇主(雇人を使い、または家族の補助を受けて自己の業務を営む者)が1835人、使用人(俸給、給料、手当、賃銀その他の報酬を得て勤務する者)が3983人、単独(雇人を使わず、または家族の補助を受けず1人で自己の業務を営む者)が2907人となっている。したがって、1雇主あたりの平均使用人数は2.2人、これに加えて1人で工業を営む者が約3000人存在するのが昭和10年の実態となる。職業分類と産業分類とでは分類方法が異なるので単純に比較はできないが、最も人数の多いのが土木・建築に従事する者の1842人、次が金属工業・機械器具製造・造船・運搬用具製造の1505人、木竹草蔓類に関する製造1363人、被服身装品製造の1181人と続いている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ |