通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 3 主要企業の動向 浅野セメント(株)北海道工場 |
浅野セメント(株)北海道工場 P450−P451 大正6年に建築工事に着工した第2工場は11年に竣工した。この間第1工場(旧工場)関係諸設備の新増設、社員・職工各社宅、社員倶楽部などの新増設、原料石灰石の山である峩朗への専用鉄道の敷設、木古内村樽材製作所の開設などの工事があり、工場内外の面目は一新した。第2工場の運転開始で、北海道工場の生産高は105万樽となった。一方で回転窯の廃熱を利用する自家発電設備は第2工場(734馬力)は12年に、第1工場(755馬力)は13年に完成した。大正14年の生産高は144万樽(『浅野セメント沿革史』昭和15年)となり、合併当時に比べて13倍半の増加であった。職工数も11年から13年にかけて1000名をこえた。しかし、昭和恐慌の波はついに打ち寄せ、昭和5年10月以降、セメント連合会規約による合理化運転法の実施となり、第1工場は休転部に編入された。昭和5年の生産高は95万樽、333万円に激減した。職工数も昭和期に入ってから減少はしていたものの、昭和5年は421名となった(表2−65)。
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