通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第3節 露領漁業基地の展開
5 函館の露領漁業者

露領漁業出漁者の系譜

漁業仕込金融の実情

露領漁業家・小熊幸一郎

小川合名会社と坂本作平

漁業仕込金融の実情   P172−P174

 仕込金融は、甚だしい高利ではあったが、漁場経営に必要な資金と漁網をはじめ一切の漁業用具・資材が提供されるので、資金に乏しく信用力に欠ける出漁者にとっては、殆ど唯一の資金源になっていた。しかし、当時露領漁業の現地を視察した外務書記生はこの仕込金融について、「漁業タル本来投機的ノ性質ヲ有ス之レカ為資金ヲ供スル資本家タルモノ多大ノ利益ナクンバ応ゼザルベキハ自然ノ勢タリ露領沿岸各漁場ヨリ本邦漁業者ガ漁獲シ来ルモノハ実際毎年六、七百万円ヲ下ラズ然モ従来漁業ニヨリテ多大ノ利益ヲ得タル者ハ誠ニ少数ノ者タリ多クハ資本家ノ為ニ奉公シ不漁一・二年ナランカ多大ノ打撃ヲ蒙リ其甚シキニ至リテハ破産ノ悲境ニ陥リ再ビ立ツコト能ハザルニ至ルアリ」と述べている(島田外務書記生「東堪察加漁業状況」『露領漁業調書』前編 大正6年所収)。
 これによると仕込金融の下に出漁した漁業者で利益を上げ得たものはごく一部のものに限られ、高利の負担に耐えかね、数年にして露領漁業から撤退する者、なかには倒産したものが少なからず存在したことが窺われるのである。
 函館における露領漁業の仕込の方法は現物主義であり、漁業者は、金主(仕込商人)から、漁期始めに漁夫賃金やその他支払いに必要な現金を借り入れ、同時に漁期間中に必要な米味噌塩漁船漁具(時には漁場も)など、一切の必要な物資の仕込みを受ける。漁期終了後は、漁獲物の全量を金主に渡し販売を委託することになるが、金主は漁獲物の販売後、販売代金から先に漁業者に貸し付けた貸付金と仕込み物資の代金、およびその間の金利、さらに漁獲物の売上口銭(販売手数料)などを差し引き清算していた。
 仕込資金の金利は高く、租借漁区の漁業権を抵当に入れる場合、1か月1分5厘から2分。無抵当の場合は1か月3分から5分。このほかに売上口銭2分5厘と歩下げ口銭5分が差し引かれていた。しかも仕込み物資の価格は市価より相当高いものになっていたという。例えば、1万円の借入で売上1万5000円の場合、4月から8月まで毎月2000円を月2分の利息で仕込みを受け、9月末に清算したとして、借入金1万円の4か月の金利が800円。これに売上口銭歩下げ口銭7分5厘1125円を加えると1925円で、実質金利が4分8厘1毛に相当する。このうえ漁獲物の受渡時に受渡重量から「痛」(1分5厘)、「入目」(2分)が差し引かれるので、仕込業者の利益は前述の額をさらに上回ることになる(日本銀行函館支店「函館ニ於ケル銀行以外ノ金融機関」大正2年9月)。
 漁業の仕込制度は、漁業成績が良好ならば、漁業者は利益を手にしたが、不漁のため借入金の返済が滞る場合には、極めて厳しい条件が付けられていた。ここに当時函館の露領漁業で使われていた仕込契約書を紹介しておこう。

             金円借用委託販売契約証書
今般拙者カ兼テ露国政府ヨリ租借シアル露領西堪察加第一七一号エヌ・ウオロスコイタ第一四号ノ漁業権及ビ食塩漁網漁船漁具一切並ニ該漁場ニテ収穫製造スル海産物全部ヲ担保ニ提供シ貴殿ノ名義ノ許ニ大正弐年度ノ漁業経営ヲナスニ付キ是ガ漁業資金ヲ借用スル為メ左ノ契約ヲ締結致候
第一条 拙者ノ借用スベキ漁業資金ハ金壱万八千円也之ヲ限度トシ其範囲内ニ順次借用スル事
 但借用スル都度受領書ヲ提供シ其証トナス事
第二条 借用金ノ利子ハ元金百円ニ付壱ヶ月金弐円ノ割合ニテ清算スル事
第四条 前記漁場ニ於テ収穫製造スル海産物全部ハ何時ニテモ貴殿ノ差向ケタル船舶ニ積渡シ其販売方総テヲ貴殿ニ委託スル事
第五条 販売手数料ハ塩切鮭鱒五千石(鮭ハ六千尾ヲ、鱒ハ一万六千尾ヲ以テ百石トス)ニ対スル売上代金ノ七分五厘ハ漁ノ有無ニ不拘本契約ノ確定手数トシテ貴殿ヘ支払ヒ可申事
 但余石並ニ筋子其他ハ総テ売上代金ノ弐分五厘ヲ手数料トシテ支払フ事
第六条 委託品売却受渡完了迄ニ要スル運賃並一切ノ諸掛及危険共総テ拙者ノ負担タル可キ事
第七条 委託品売却ノ値段ハ貴殿ノ見込二一任スル事
第八条 清算ノ結果差引残余壱万円以上拙者ノ負債ヲ生ジタル時ハ其日ヨリ参拾日以内ニ負債金全部ヲ御返済可致万一右期間内ニ返済セザル時ハ担保ニ提供シタル漁業権及食塩漁網漁具漁船一切ヲ永久ニ貴殿ノ所有トナシ拙者ノ権利ハ全部消滅シタルモノトス
第九条 本契約ヨリ若シ争ヲ生シタル時ハ其管轄ヲ函館地方裁判所ト合意ス右之通契約締結致候ニ付確実ニ履行可仕候為後日金円借用委託販売契約証書仍而如件

    大正 年 月 日
                                                          何県何郡何村何番地
                                                     借用人  何 某 印
                                                          何区何町何番地
                                                     立会人  何 某 印
  何 某 殿
                                               (前出「函館ニ於ケル銀行以外ノ金融機関」)

 函館の露領漁業経営はこの後どのように展開したであろうか。前述のように、明治40年代初めの始業以来事業を継続した経営者は大正6年には10名に減っているが、さらに昭和期にかけて露領漁業の事業を続けた経営は、小熊商店(小熊幸一郎)と小川合名会社(小川弥四郎と坂本作平)の2社である。ここで両社の事業経過の概要を紹介しておこう。
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