通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 造船ブーム期の鉄工場 |
造船ブーム期の鉄工場 P132−P134 表1−41は大正時代前期の鉄工場、鋳鉄所の生産額の推移である。造船ブームによる舶用の汽缶汽機や、硫黄鉱山の活況による硫黄釜の需要で生産額は急上昇している。また、北洋向けの機械器具、缶詰用空缶の製造も盛んであった。
堤商会はカムチャツカのオゼルナヤから持帰ったアメリカ・キャン社の缶詰用空缶の製造機械1ラインを台場町76の工場に据付け、オゼルナヤ工場長だった松下高が工場長に就任した。日本で始めての空缶製造工場は大正4年4月に運転を始めたが、空缶は10時間に7万2000缶の割合で生産された。後に2ラインを増設したが大正9年5月、火災で全焼してしまった。死者がでたことから区議会で問題となって、再建は進まず、10年に企業合同した日魯漁業(株)の発足と共に小樽へ移って、北海製缶倉庫(株)となった。(なおこの細節は、造船業と鉄工業の記述は富岡由夫「函館機械工業史 其の一『函館工業高等専門学校紀要』合本1982、同じく「其の三」1988、同じく「其の四」1989を参照した。)
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