通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第2節 商工業の進展と海運・漁業の展開
2 函館工業の近代化への途
2 業種別各産業の動向

製材・木製品工業

食料品工業

肥料製造業

製紙・印刷業

糸縷布帛工業

製網業

その他の工業

 業種別の各産業の内容を需要の動向をふまえながら述べる。

製材・木製品工業   P103−P104

表1−33 製材工場数
年次
工場数
大正1
2
3
4
5
6
7
8
9
19
29
30
29
35
40
41
40
37
「戦後二於ケル函館区商工業ノ現況」(北大史料室蔵)
 この期の区内の木材需要は、本州および道内よりの移入量合計でみると、1か年10〜20数万石である。火災の多い都市であるから、建築用の需要はもちろん、漁業基地のための造船用や魚函用の需要があった。主な移入先は秋田県、青森県であるが、秋田の能代港へ海産物を輸送した帆船が返り荷に木材を積み取ってきていた。ところが、奥羽線の開通により函館からの海産物は鉄道便にかわりはじめ、また秋田、青森県の木材は奥羽線で京阪市場へ積出されるようになった。そして、明治40年の大火による区内の木材需要をみたすために、材木商は道内の山元より原木を仕入れて、木挽職に賃挽きで出し、製材で流通するようになった。これが明治41年頃よりの製材業の勃興である。表1−33の通り大正6年には元年の2倍の工場数となっている。蒸気力は電動力にかわり、大正2年には500馬力に達している。
 この頃の木材商組合は、工場を主とする者と問屋を主とする者との2系統があったが、大正初期には一本化した。製材工場の経歴は『函館木材業界史』(函館木材協会)に詳しいが、村木、濱岡、市村、石塚、瀬崎などの新潟県出身者を主として、薮越、岡本、柴田の石川県、大村の富山県出身者が続いている。そして、次期の製材業界を担う人材がここで養成された。
 次に木工所は、西洋家具、建具、木地挽物(家具、船具用の附属品)の3業種に分れるが、大正6年の木工家具製造業組合の組合員数は70余名であった。その製品は次第に本州からの移入品に対抗できるようになった(「函館の洋家具」『函館市史』都市・住文化編参照)。
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