通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 糸縷布帛工業 |
製材・木製品工業 P103−P104 製綿業は明治40年の大火後に急速に発達した。大阪から仕入れた8万貫をこえる古綿を打直して、夜具ぶとんや座ぶとんをつくり、区内をはじめ道内各地の開墾場、漁場および青森へも販売した。製綿業の形態には手打、賃打、製造販売の3種類があり、製造販売業者は明治末期の数工場が20数工場に増加した。このうち成長の著しい丸村印河村製綿所では、明治43年の職工数10人、蒸気3馬力が大正8年には職工数91人(うち女子が70人)、電動力40馬力に達している。そして生産額は9000円が34万2000円と高い成長である。大正6年では原料古綿は1貫70銭位であり、これを打直しすると1貫95銭で販売できるが、1人1日2貫しかできない。それが1台の機械を入れると1日15貫は楽にできるのが実態であった。 |
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