通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第2節 商工業の進展と海運・漁業の展開
1 発展する函館商業
3 函館商業会議所の設立

商工会から商業会議所へ

函館商業会議所の創立

商業会議所の定款

商業会議所の活動

商工会から商業会議所へ   P85−P87

 函館商業会議所の設立が認可されたのは、明治28(1895)年9月29日のことである。明治前期の北海道において、商工業の発達が目ざましかった函館では、明治10年代からすでに函館商法会議所設立の動きがみられたが、それは、結局同22年5月の函館商工会の設立に帰結した。その際、函館商工会の設立運動に加わった函館商人達の間では、最初から商業会議所の設立を期するべきだとの意見も強かったようである(函館商工会『明治二十八年下半季函館商工会報告』)。しかし、当時の北海道には所得税法が未施行であり(明治32年施行)、このことが、「会議所設立地ノ商業者ニシテ所得税ヲ納ムルモノ」が会議所会員の選挙権を有するという商業会議所条例第5条の規定に抵触し、函館商業会議所の設立は見送られた。その後、明治28年3月の商業会議所条例の改正によって、北海道に設立する会議所の会員資格は地方税3円以上の納入者と定められ、にわかに函館商業会議所設立の気運が高まってきた。
 すなわち同年8月6日の函館商工会商業者有志会議(会員54名中22名出席)において、平出喜三郎以下5名の創立委員を投票で選び、これらの創立委員に、函館商業会議所の設立に関する一切の事務手続を委任すると共に、その費用は発起人が一時的に立て替え支弁することとした。8月12日、発起人総会を開き、函館商業会議所の設立認可申請書、初回会員選挙規則、設立費予算などを決定した。
 それによれば、発起人には平出喜三郎(水産商)、小川幸兵衛(雑貨荒物商)、遠藤吉平(北海道共同株式会社々長)、渡辺熊四郎(洋物商)、相馬理三郎(米穀商)など25名が選ばれ、また、設立すべき函館商業会議所は渡島国函館区をもって区域とし、有権者の概数は、会員選挙権を有する者が約600名、同被選挙権を有する者が約300名、会員の定数は35名とされた(同上)。
 8月16日、函館商業会議所の設立認可申請書および付属書類は、函館区役所、北海道庁を経て農商務大臣に進達され、9月29日付けで設立認可を得た。以後発起人会において会員選挙、創立費支出、定款諸規則などの決定がなされ、12月18日には会議所会員の選挙が行なわれた。そして、翌29年1月4日、函館区長より当選者35名の氏名が通知された。これらの当選者は、函館商業会議所初回会員選挙規則第15条により、発起人によって次のように広告された。

船見町 平出喜三郎   仲濱町 辻快三      西濱町 菅原治郎吉    末廣町 松山吉三郎
末廣町 平田文右衛門  船場町 谷津菊右衛門  辮天町 相馬哲平      東濱町 藤野四郎兵衛
汐見町 杉浦嘉七     仝    服部半左衛門  西濱町 皆月善六      末廣町 澁田利右衛門
末廣町 渡邊熊四郎   西濱町 相馬理三郎   北海道共同株式會社代表人 遠藤吉平 大町 山本巳之助
天神町 田中正右衛門  末廣町 新田太平     富岡町 伊藤鑄之助    西濱町 西出孫左衛門
末廣町 小川幸兵衛   大町  常野嘉兵衛    東濱町 石垣隈太郎    末廣町 石館兵右衛門
辨天町 林宇三郎     末廣町 逸見小右衛門  末廣町 斎藤政七      曙町   竹内與兵衛
東濱町 和田惟一     仲濱町 筑前善次郎   西濱町 久保彦助      辨天町 小島與三郎
大町   網塚忠兵衛   東濱町 伊豫田徳次郎  帝国水産株式会社者代表人 伊藤一隆
                                            (函館商業会議所『第一回事務報告』)

 1月8日、函館区長は町会所に会員35名を召集して最初の総会を開き、選挙によって仮会頭に平出喜三郎、仮副会頭に小川幸兵衛が選ばれた。あわせて定款其他諸規則調査委員5名を選挙し、遠藤吉平以下の委員に調査を委托した。しかし、定款の認可申請は同年2月25日までずれこみ、農商務大臣より5月1日付けで認可するとの連絡が届いたのは5月14日のことであった。
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