通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 漁業貿易 |
漁業貿易 P77−P79 ところで、貿易統計について函館税関が作成したものは、普通貿易と漁業貿易とに区分されている。漁業貿易とは沿海州やカムチャツカなどに出漁したわが国の漁業家の事業に伴ったもので、その輸出は、食料品や漁具等の漁業経営に必要な物資の露領漁場への搬出であり、輸入は漁獲物の国内への搬入を指している。従って、これらの行為は出漁者の投資とその回収となるため、一般の貿易収支が国家間の貸借関係であることとの違いから、漁業貿易として別に統計が作成されたのである。小樽や青森もわずかに係わってはくるが、この漁業貿易の大半は函館港が独占しており、輸出では90%以上、輸入では70%以上を占めていた(昭和33年版『開港要覧』)。本節では普通貿易の範疇に入る輸出入関連について述べるが、参考までにここに漁業貿易の概要を述べておく。
貿易品の種類は、輸出品(仕込物資)では、米・清酒・醤油・砂糖・菓子などの食料品、塩・船舶・漁網・縄索・藁製品鉄製品・缶詰用空缶・木製品などの漁業用品、その他の需要品であるが、そのうち約90%を漁業用品が占めている。缶詰生産が本格化するまでは、保存用の塩や漁網の比率が高かったが、昭和5年以降は空缶の需要が増大し、同10年には総額のおよそ50%に達するまでになった(『函館税関沿革略史』)。 一方、輸入品は漁獲品と持戻品ということになるが、漁獲品のほとんどは塩蔵鮭鱒であった。明治・大正期には総額に対して平均80%程度を占めていたが、昭和5年になると約50%になり、缶詰類が増えてくる。そして昭和17年には、ついに缶詰類が60%と逆転するに至った(同前)。 露領における総生産額からみてみると、大正初頭までは70%以上が函館にもたらされていたが、それ以降は40〜50%で推移している。これは缶詰類が函館港に回送されず、産地から貿易相手国へ直送されていることなどが要因であろう。
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