通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第2節 商工業の進展と海運・漁業の展開
1 発展する函館商業
2 日露戦争後の海外貿易

中国市場と函館の貿易

漁業貿易

通商圏の多様化と主要貿易品の変化

拡散する道内貿易港

漁業貿易   P77−P79

 ところで、貿易統計について函館税関が作成したものは、普通貿易と漁業貿易とに区分されている。漁業貿易とは沿海州やカムチャツカなどに出漁したわが国の漁業家の事業に伴ったもので、その輸出は、食料品や漁具等の漁業経営に必要な物資の露領漁場への搬出であり、輸入は漁獲物の国内への搬入を指している。
 従って、これらの行為は出漁者の投資とその回収となるため、一般の貿易収支が国家間の貸借関係であることとの違いから、漁業貿易として別に統計が作成されたのである。小樽や青森もわずかに係わってはくるが、この漁業貿易の大半は函館港が独占しており、輸出では90%以上、輸入では70%以上を占めていた(昭和33年版『開港要覧』)。本節では普通貿易の範疇に入る輸出入関連について述べるが、参考までにここに漁業貿易の概要を述べておく。
表1−20 函館港漁業貿易額の推移
                    単位:千円
年次
函館港
露領総
生産額B
A/B
輸出
輸入A
明治40
42
44
大正2
4
6
8
10
12
14
昭和2
4
5
6
8
10
12
14
15
16
17
18
19
20
1,177
1,330
2,091
2,082
2,630
5,236
8,134
5,887
7,568
6,525
8,045
7,749
14,298
5,827
6,331
6,145
6,017
7,185
11,241
9,527
11,361
7,350
3,861
700
2,172
3,116
4,674
4,990
4,394
5,036
14,516
14,387
13,019
16,910
12,796
12,786
13,043
11,122
11,338
11,872
15,163
27,339
31,429
33,285
26,091
30,850

3,349
4,447
6,764
7,073
7,024
10,272
22,650
20,274
20,587
23,435
20,841
20,535
27,341
16,949
17,669
18,017
21,180
34,524
42,670
27,854
37,380
38,200
3,861
700

2,832
5,636
6,893
6,438
14,105
29,889
28,361
25,882
22,738
27,089
32,198
31,828
22,356
23,666
29,149
37,598
49,164
44,524
48,946
34,505
32,172
26,460

110*
83
72
68
36
49
51
50
74
47
40
41
50
48
41
40
56
71
68
76
96

函館港の輸出入額は『函館税関沿革略史』より作成
露領総生産額は『北洋漁業累年統計』より作成
注)*はありえないが、上記の2資料から割り出した数値をそのまま掲載した。
 表1−20は日露戦争以降、第2次世界大戦までの漁業貿易輸出入額を示したものである。この表には、南・北千島はもちろん日本領となった南樺太での漁業生産に関する数字は入っていない。地域別にみれば、カムチャツカが大半であり、明治末頃までは全体の50%程度、大正から昭和期では80%以上を占めていた。
 貿易品の種類は、輸出品(仕込物資)では、米・清酒・醤油・砂糖・菓子などの食料品、塩・船舶・漁網・縄索・藁製品鉄製品・缶詰用空缶・木製品などの漁業用品、その他の需要品であるが、そのうち約90%を漁業用品が占めている。缶詰生産が本格化するまでは、保存用の塩や漁網の比率が高かったが、昭和5年以降は空缶の需要が増大し、同10年には総額のおよそ50%に達するまでになった(『函館税関沿革略史』)。
 一方、輸入品は漁獲品と持戻品ということになるが、漁獲品のほとんどは塩蔵鮭鱒であった。明治・大正期には総額に対して平均80%程度を占めていたが、昭和5年になると約50%になり、缶詰類が増えてくる。そして昭和17年には、ついに缶詰類が60%と逆転するに至った(同前)。
 露領における総生産額からみてみると、大正初頭までは70%以上が函館にもたらされていたが、それ以降は40〜50%で推移している。これは缶詰類が函館港に回送されず、産地から貿易相手国へ直送されていることなどが要因であろう。

 

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