通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
|
第1章 露両漁業基地の幕開け 区制期最後の区会議員改選 |
区制期最後の区会議員改選 P44 大正9年の区会議員の改選は、公正会、北門倶楽部両派の激しい選挙戦となった。7年9月に憲政会函館支部(支部長平出喜三郎)が創設され、8年の区長選挙(黒金泰義区長を選出)及び9年の総選挙で北門倶楽部、公正会がしのぎを削ったのが切っ掛けであった。演説会も開かれ、以前の選挙と比較すると圧倒的に投票率は高くなった。3級、1級選挙ともに70パーセントを超えた。両派の妥協交渉はあったようであるが(11月27日付「函新」)、選挙運動を単独で開始した人がいたことや総選挙のしこり、さらに候補者の調整不能などから選挙戦へと突入した。公正会と立憲青年同志会、青年革新会、函館立憲青年会共催の演説会の弁士は、長谷川淑夫(世民)、恩賀徳之助、平出喜三郎、黒金泰義らと前橋市選出代議士清水留三郎であった。主な主張は上水道拡張、2部教授廃止、港湾修築海陸連絡、都市計画実施、控訴院移転反対などであった。黒金泰義は中央では政友会が280の多数を擁し「有らゆる横暴をはたらく」と述べ、政友会系の北門倶楽部が全滅することを望むと結んでいる。公正会は改選前の議席と同数の11を獲得、公正会応援新聞である「函館新聞」(12月3日付)は、「改選に於て全く損失する所なかりしなり」と選挙戦を締め括り、選挙後の新たな勢力分布を北門倶楽部所属が新選議員8人、黒住成章ら残留議員6人の14人、公正会所属が新選議員が6人、渡辺長一郎(のち泰邦と改名)ら残留議員5人の11人、北門推薦の中立派外山平治、坂井定吉、太刀川善吉と残留議員岡本康太郎、斎藤又右衛門の5人を両派所属外議員と整理している。ところでこの選挙の時区長は不在であり、新区会は新区長を早急に選出することが緊急命題であった。北門系中立議員を加えると過半数となつた北門倶楽部であるが、新区長選考に手こずり、区長を決められずに時間は経過し、区長職務代理の職にあった助役の辞任を容認せざるを得ず、まず助役選挙で臨まなければなかったことは前述した通りである。 |
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ |