通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
1 占領軍の函館進駐

敗戦直前の有識者の考え

8.15の回想と記憶

アメリカ軍の進駐を前に

進駐軍心得懇談会の開催

連合軍進駐への心構え

函館署の注意事項

アメリカ軍の進駐開始

「教務日誌」にみる状況

アメリカ軍の上陸と駐屯施設

北海道進駐のアメリカ軍兵力

占領行政の開始と土地・建物の接収件数

司令部が置かれた五島軒

将兵の宿舎・函館水産専門学校

「衛生」部隊が入った共愛会館

一時接収のゴルフ場

8件残して接収解除

進駐アメリカ軍のその後

北海道進駐のアメリカ軍兵力   P55−P56

 一方、北海道全体に進駐したアメリカ軍は、20年10月20日現在2万700名、12月4日現在2万241名、翌21年2月13日現在2万241名という数字があり、日本本土に進駐したアメリカ軍全兵力が、20年12月4日の場合は43万287名(このほかイギリス軍200名が長崎に駐屯)であったから、北海道に駐屯したアメリカ軍兵力は、その約4.7パーセントを占めていたことになる(前掲『占領史録』下)。これに対して、昭和20年「長官事務引継書」は、10月26日現在の駐屯地別総兵力を2万1630名としている(表1−2)。
 また、昭和21年2月の「長官事務引継書」は、「駐屯軍ノ移動及動静」の項で、「本道駐屯当初ノ兵員概数ハ約二四、七六〇名ナリシモ其ノ後逐次帰還或ハ退道シ今尚引続キ漸減ノ模様」としている。この「駐屯当初ノ兵員概数ハ約二四、七六〇名」という数字がいつの時点のものか明記されていないが、昭和20年10月のデータである可能性が強い。なぜなら、同20年11月2日現在、北海道に展開した第七七師団の兵力概数は2万1000名というデータがあるからである(終戦連絡事務局『執務報告』昭和20年11月15日、『日本占領・外交関係資料集』第3巻)。ともあれ、内務省の調査に基づく『占領史録』の記載とは4000名前後の違いがある。
表1−2 駐屯地別総兵力
駐屯地
兵力
司令官
宿舎その他
函館
4,297
パーネル代将 五島軒
小樽
4,563
イソワク少将 三井物産会社
札幌
5,616

第九軍団司令官
ライダー少将
第七十七師団他
ブルース少将


札幌逓信局

北海道拓殖銀行本店
旭川
5,399
キンブレル大佐 元第七師団兵舎
室蘭
1,005
クーネー中佐 日本製鋼所社宅
稚内
200
三〇五連隊第二中隊
グリーアサン中尉

稚内鉄道成□場
美幌
300
  元美幌海軍航空隊兵舎
帯広
250
  帯広国民学校
合計
21,630
   
昭和20年「長官事務引継書」(北海道立文書館蔵)より作成
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