通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
1 占領軍の函館進駐

敗戦直前の有識者の考え

8.15の回想と記憶

アメリカ軍の進駐を前に

進駐軍心得懇談会の開催

連合軍進駐への心構え

函館署の注意事項

アメリカ軍の進駐開始

「教務日誌」にみる状況

アメリカ軍の上陸と駐屯施設

北海道進駐のアメリカ軍兵力

占領行政の開始と土地・建物の接収件数

司令部が置かれた五島軒

将兵の宿舎・函館水産専門学校

「衛生」部隊が入った共愛会館

一時接収のゴルフ場

8件残して接収解除

進駐アメリカ軍のその後

「教務日誌」にみる状況   P50−P53

 いま庁立函館中学校の「教務日誌」によって、この間の事情を述べておこう。アメリカ軍の函館上陸がおこなわれた10月4日を挟む9月末から10月上旬にかけての同校の「教務日誌」には、次のように記されている(大矢一人「北海道軍政(民政)部民間教育課の人事」『藤女子大学・藤女子短期大学紀要』第36号)。

九月二一日 金曜 晴
 一、連合軍進駐ニ関スル緊急打合 函館警察署ニ於テ 学校長出席
   右ニ関シ校舎平面図、配置図ヲ作製提出
九月二二日 土曜 晴
 一、連合軍進駐ニ関スル緊急準備ノタメ 鈴木、橋本、大場三教諭函館警察署ニ出席
九月二五日 火曜 晴時々曇
 一、連合軍進駐ニツキ諸注意ヲ学校長ヨリ訓話セラル
一〇月四日 木曜 曇
 一、学校長訓話
  1、本日ハ二時間ヲモツテ放課(連合軍進駐ノタメ)
  2、五日ハ臨時休業
  3、進駐軍進駐ニツイテノ諸注意
一〇月五日 金曜 曇
 一、会礼ナシ 授業ナシ 但シ職員会礼ハ午前八時ヨリ行フ
 一、午前十一時ヨリ会食ノ上懇談会
  1、学校長ノ指示 ◯学校ハ当分休業トスル ◯六日生徒ノ通信網ヲ作製スル ◯職員ノ出勤ハ当分平常通リ
一〇月六日 土曜 曇
 一、朝礼 校歌合唱
   学校長ヨリ指示並ニ訓話
  1、当分休業スル 家庭訓練ヲ実施セヨ
  2、通信網ヲ作製 コレニヨツテ出席ノ日ヲ通達スル
  3、三年ハ出校ト共ニ考査、他学年ハ十月下旬考査ヲ行フ
  4、函館ヲハナルルコトハ許サズ
  5、青少年学徒ラシク萎縮スルコトナク、勉学、体練ニ努メヨ
  6、其他
 一、生徒ハ教室ニテ通信網整備、担任ヨリ諸注意アリ
 一、函館市長ヨリ(マッカーサー司令部ヨリ通達 休校並ニ夜間通行ヲ解除ス)
一〇月一三日 土曜 曇
 一、朝礼 学校長訓話 ◯戊申詔書奉戴日ニアタリ謹話 ◯進駐軍ノ単独外出ニツキ生徒ノ心得就中交通道徳ノ確守ニツキ訓話アリタリ


占領軍の上陸を報じる新聞(昭和20年10月5日付け「道新」)
 この日誌の記述から、アメリカ軍の進駐を控えて、学校長以下の教員たちは函館警察署との連絡に当たるなどその対応に忙殺されていたことがわかる。そして、アメリカ軍の上陸した10月4日は、結局2時間で授業を終え、翌10月5日と7日から12日までは臨時休業の措置が取られている。なお、敗戦から2か月を経ているにも関わらず、明治41(1908)年に発布された「戊申詔書」の奉戴日に因んだ「謹話」を、依然としておこなっている点が注目される。この詔書は、日露戦争後に国民の経済力が落ちこみ、貧富の差がはなはだしくなり、国民に重い税負担を求める必要性から、国民や社会のあいだの秩序や安寧(あんねい)をそこなうような風潮をとり除いて「国民の道義」を高め、倹約と努力を強く勧める内容であった。この詔書が正式に効力を失うのは昭和23年の国会決議によるとはいえ、この詔書の発布に因む「謹話」をおこなった校長の意識は、相変わらず「戦前」のままであった。
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