通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業
2 函館の経済人の諸相

指標となる史料群

明治末期の有力経済人

大正5年の資産家

投資活動

大正期の貴族院多額納税者

営業形態の法人化

経済人としての漁業家

指標となる史料群   P403−P404

 ここでは函館の経済界で活躍した人々が時代の推移のなかで、どのように変化していったのか、そして、その背景にある函館の経済的な特性や時代趨勢とどのように係わっていったのかを述べてみよう。あわせて道内における函館・小樽・札幌との経済的な位置関係も一部、視野においてみる。基礎史料としては個々人の経済活動を反映し、その指標となる納税関係のものをおもに用いる。所得税など国税の上位納税者が明らかになる史料には、『最新函館案内』に掲載の明治39年調査の所得税納税一覧をかわきりに、ついで東京興信所函館出張所が作成した「函館区納税者調」(酒谷家文書・市立函館博物館蔵)に掲載されている明治44年度の営業税・所得税の個人別一覧がある。また大正期に入ると北海道にも貴族院議員選挙が実施されるため、地租・所得税・営業税の多額納税者に関する諸史料が登場する。互選人を決定するために名簿が作成されるのであるが、大正7年と9年は全道の上位15名、大正14年および15年は全道の上位200名(選挙制度の変更により互選人の枠が拡大された)が明らかとなる。大正9年、15年は補選が行われたために名簿が残されている。昭和期に入っても選挙人資格者は選挙のつど、地元新聞が報道している。
 また区会議員選挙は区税納税者の上位が有権者となり、このうち一級有権者となる上位の50名前後の氏名は個々の納税額こそ不明であるが、明治41年、44年、大正3年、6年と新聞報道がなされている。大正9年については「函館区会議員各級選挙人受付簿」に各級別に全員の名前が記載されている。11年以降の市会議員選挙では有権者が大幅に拡大するために個人名は分からない。なお、営業税納税者は大正4年の「営業税調査委員選挙人選挙」(函館区会関係文書)のほか『函館商工名録』には業態別に掲載されており、大正6年、12年および昭和期に入ってからは5か年分が分かる。
 なお『函館商工名録』は各年代における各業種間、あるいは同一業種内における個人・会社の相対的な関係を明らかにするほかに、時系列的にみると時代の趨勢に沿った新しい職業の登場や、それらの変遷について多くの情報を提供している。昭和期の所得税納入者に関しては、帝国興信所函館支所が作成した昭和7年『函館市並渡島支庁管内納税者一覧表』がある。
 税金以外の資料として『時事年鑑』(大正7・8年版)に所収されている大正5年「北海道資産家一覧」や昭和18年「北海道資産家調」、また地主名簿等があり、これらは資産についての情報を提供するものである。もちろん、それらは同一条件での等質な史料ではないために限界はあるが、それぞれの時代ごとの優劣を相対的に表現しているために意味がある。
 なお営業税は明治29年に施行された国税である。物品販売業は売り上げ金額、製造・運送・倉庫業は資本金に対して、金銭貸付業は運転資本、請負業は請負金額と課税内容と税率は業種によって異なるので、商業者の大半を占める物品販売業のなかでの相対関係を示す史料ということになる。ただし函館の経済界にあって無視できない存在の漁業家は、非課税扱いになっている。営業税は昭和に入ると営業収益税と改められ、純益に課税されることになり、はじめて営業実態を反映するものとなる。また本・支店の所在地での営利法人と個人に課税された(法人は3.6%、個人は2.8%)。ただし「法人の漁業」者と「個人の自己の収穫した水産物(農産物なども含む)の販売またはこれを原料として製造」するものは非課税であるので、同じく漁業家の実態を把握することはできない。
 所得税は明治20年に施行されたが、北海道は明治32年度から適用された。これは法人所得、利子所得、個人所得に区分され、累進課税される。従って所得税に関しては同一条件となるので、営業税よりは客観的な史料といえる。
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