通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業
1 函館の経済界

4 函館商工会議所の成立

函館商工会議所の設立

会議所定款の変更

函館商工会議所定款

函館商工会議所の活動

戦時下の商工会議所

会議所と連合組織

第8回道会議所連合会

道会議所臨時会

戦時下の商工会議所   P376−P378


展覧会のポスター(昭和17年7月23日付「新函館」)
 さて、戦時体制の深まりと共に、函館商工会議所は昭和16年3月、港湾部を新設して部会を6部体制としたことに加え、3月12日新たに「部及部会ニ関スル規程」を改訂し、「地方業界の権威」に部会参与を委嘱してその体制を強化した。
 同年12月の太平洋戦争開始によって、日本は全面的な戦争体制へと突入していったが、会議所自身も、そのような流れの中で、積極的に関与していったのである。まず、12月8日の開戦と共に、会議所は「開戦体制下ノ函館市経済界決意宣言」を明らかにして「聖戦ノ大業」の「完遂」を誓った。また、昭和17年10月8日、会議所が中心となって「大東亜諸地域に於ける産業経済発展に関する諸問題並函館産業振興の審議攻究をなす事」を目的とする函館東亜経済研究会を設立し、会長には会議所会頭が就任すると共に事務所も会議所内に置かれたことや、「商工業ノ発達ヲ図ル為ニ行ヒタル事業」として、大東亜経済建設展覧会(同年7月24日−8月2日、今井)、満州建国10周年慶祝展覧会(同日程、森屋)、大南洋展覧会(新函館社と共催、同年10月2日−10月11日、森屋)を開催したことも、その現われといえる。

大東亜倶楽部発会式の様子(昭和18年3月31日付「道新」)
 さらに昭和18年3月30日、「八紘為宇の大精神に則り、大東亜諸民族の親善提携を図り大東亜建設の一助たらんことを期する」函館大東亜倶楽部が設立され、その事務所は会議所内に置かれると共に、3名の理事の1名には、会議所会頭が就任した(他の2名は、満州国名誉領事と中華会館董事)。この倶楽部は、「函館東亜経済研究会と一体表裏の間にあり、大東亜建設途上の当然的発生の具現」(『函館商工会議所所報』第431号、昭和18年4月)とも言われているが、このような動きは、函館商工会議所自身が、戦時体制の維持に向けて積極的に関わったことを証明するものであった。
 さて昭和18年3月、商工経済会法が公布され、同6月には商工経済会法施行令、商工経済会法施行規則が相次いで施行された。商工経済会が新発足したことで、同9月27日、函館商工会議所は明治28年9月の設立以来48年間の歴史に終止符を打ち、その解散式を行なった。そして、函館商工会議所は、翌10月より北海道商工経済会函館支部としての新しい道を歩んでゆくのである。
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