通説編第4巻 第7編 市民生活の諸相(コラム) |
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第3章 転換期をむかえて コラム63 西部地区、歴史的景観の保存 |
コラム63 西部地区、歴史的景観の保存 景観条例の制定とその後 P915−P919
かつては、函館の中心地として栄えた同地区であったが、その地位は次第に低下していった(コラム62参照)、高度成長期の急激な近代化の波を受けることもなかったために京都や金沢などとは違った、和洋折衷様式などの建物が混在しながらも調和のとれた特徴的な町並を形成することになった(『函館市西部地区の町並』)。 この町並みを保全・保存しようというのが景観条例であった。その背景には全国的な潮流とともに、行政に先駆けた市民運動によって同地区の歴史的な環境に対する評価が市民の間で一定程度定着していたことがあった。 全国的な歴史的環境の保全運動は、昭和40年代に入って高度成長経済のもとで失いつつあった自らの「まち」の価値を自らが再評価し保全していく運動として各地に広がり、独自の条例を制定して保全事業に取り組む自治体もあいついだ。 昭和50年代に入ると、このような住民や市町村の実績を背景として、国でも文化財保護の観点から「伝統的建造物群保存地区制度」が誕生し、これらの動きにはずみをつけることとなる。その後、住民運動体による連盟や自治体による協議会はさらに拡大し、さまざまな熱い議論が展開された。北海道内の小樽運河の保存問題が全国的な話題となっていたのもこの時期であった。 同じ頃、函館でも西部地区の歴史的な町並みを再評価する運動が、市民によって展開されるようになる。
以来、歴風会の活動を中心として函館の歴史的環境に対する意識が高まるにつれ、市民の間では歴史的な建造物の外観を生かしながら再生・再利用する活動などをはじめ多彩な活動が展開されるようになる。 しかし、建物の保存は多額の費用がかかり、実際に住宅や店舗として生活している人がいるという保存上の難しさもあった。旧北海道庁函館支庁庁舎の移築問題が持ち上がった昭和53年時点で、文化財と指定されていた歴史的建造物は、国や北海道の指定が5件であるのに対し、市の指定は皆無であった(コラム29参照)。 その後、スクラップ・アンド・ビルドといった志向が強かった函館市も、市民の活動に触発されるように、昭和55年以降庁内にプロシェクト会議を組織し、西部地区における各種の課題についての検討とともに、重要文化財旧函館区公会堂の修理をはじめ、元町公園の整備、坂道の石畳化などの具体的な整備を進めていった。 昭和61年には臨時部局(都市景観保存対策事務局)を設置し、西部地区の歴史的景観の保全を図るための条例制定を目指した取り組みを進めることとなった。 指定建造物の保存・保全や建築物の高さの制限など直接住民に制約や規制が及ぶ条例であったが、たび重なる説明会においてもとくに強い反対の意見はなく、むしろ地域住民や市民は好意的であった。 昭和63年4月に「函館市西部地区歴史的景観条例」は制定されるが、この年の12月に市がおこなった調査でも、地域住民の88.7パーセントが周辺の歴史的な町並みや建物を「非常に好き」あるいは「好き」と答え、また88.1パーセントが歴史的な町並みや建物の「修復保存」や「外観保全」を支持している(『函館市歴史的地区環境整備街路事業調査報告書』、図参照)。条例という具体的な制限が実際に施行された後でのこの数字は、地域の歴史的環境に対するきわめて深い理解が住民にあることを物語っている。
高層マンション建設問題については、平成2(1990)年から3年にかけて、指定地域の一部で建築物等の高さの制限を強化するなど条例の一部改正や、都市計画法に基づき建築物等の高さを制限する高度地区の指定を含めた対応策が別途とられることになる。これらの問題は、歴史的建造物の維持・管理が所有者個人にとって大きな負担となることや、経済的裏づけを持った歴史的建造物の保存施策の必要性をあらためて浮き上がらせた。 このため市では、指定建造物所有者の負担の軽減を市民とともに図ることを目的として、平成5年に「函館市西部地区歴史的町並み基金」を設置した。その運用によって指定建築物等の防寒改修や日常的維持管理への助成など、それまでの条例に基づく外観修理への助成に加えて、所有者等への支援のいっそうの強化を図っていくこととなった。 また、伝統的建造物群保存地区内においては、外壁材としての使用が制限されている木材が外観保存のために使用できるよう建築基準法の制限を緩和するなど、可能な手だてを講じながら施策の補強・拡充を図っていくことになる。 平成7年4月には、この条例の対象は西部地区だけではなく全市に広がり、名称も「函館市都市景観条例」となる。西部地区の歴史的景観の保全から全市的な都市景観の形成へということだが、基本的な考え方に変わりはない。住民の暮らしと地域の環境に対する意識を基礎としながら、地域の個性を生かし、さらに良好な都市景観の形成に努めることによって、総体として美しく、快適なまちづくりを進めることが目指されているが、取り組まなければならない課題はなお多い(コラム62参照)。(山本真也)
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