通説編第4巻 第7編 市民生活の諸相(コラム)


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第3章 転換期をむかえて

コラム62

斜陽化する西部地区
人口の減少と進む高齢化

コラム62

斜陽化する西部地区  人口の減少と進む高齢化   P910−P914

 市町村合併などで増え続けてきた函館市の人口は、昭和55(1980)年の約32万人をピークに減少に転じ、平成7(1995)年には再び30〇万人を下回ることになった(各年「国勢調査」)。隣接する上磯・七飯・大野町などへの人口流出が進行した結果である。なかでも西部地区と中央部地区という既成市街地における人口の減少・高齢化が著しくなっている(下図・グラフ参照)。
地区別の高齢化率(65歳以上)

『函館市の人口−平成7年国勢調査結果(1)−』より作成
 西部地区は、歴史的な町並み(コラム63参照)などの文化遺産を有する函館山山麓一帯や函館港に面するウォーターフロント地区、さらに都心として交通機能や商業業務機能が集積している函館駅前・大門地区などで構成され、長く函館市の繁栄の中心であった。
 近年は、その歴史性を生かした町並みやウォーターフロントの再開発などによって、多くの観光客が足を運ぶ地区となると同時に、函館市のひとつのイメージを形づくる地区ともなっている。
 しかし一方で、この地区の人口の減少はかなり以前から始まり、既成市街地から北東部などへの人口の移動が進行していた(第6編第2章第2節参照)。地区人口をみると、昭和30年に約8万6000人(国勢調査)であった人口が、平成7年には、2万9144人にまで減少し、高齢化の進行も著しく、実に23.9パーセントが65歳以上といった状況である(各年「国勢調査」)。このような傾向は五稜郭地区を含めた中央部地区にまで拡がっている(前図、下グラフ参照)。
 また、住民の高齢化だけではなく、建物の老朽化も著しい。木造で25年以上、簡易耐火構造で45年以上、耐火構造で60年以上をそれぞれ経過した建物の割合(老朽建物率)が、西部地区で48.4パーセント、中央部地区で38.3パーセントと、全市平均の22.4パーセントを大きく上回る数字となっている(平成7年「函館市地区カルテ」)。
 地区内は、敷地の狭い住宅や細い街路が多く見られ、老朽家屋が密集している街区も多いことから、土地の高度利用や防災性、安全性などの面からも居住環境の改善が必要となっている。
 このような西部地区の変動の要因として、(1)市街地の地価の高さと根強い持家志向によって人口が郊外へ移ったこと、(2)宅地や家屋の規模が狭小なため、核家族化や生活様式の変化に適応できない、(3)昭和50年代以降の急速なモータリゼーションの進行などがあげられる。
 人口が郊外へ移るとともに、新たな大型商業施設があいついで郊外に設けられ(コラム57参照)、それまで経済や社会などの様々な都市活動を担ってきた中心市街地(函館駅前・大門地区)においても空き地や空き店舗、駐車場となるところが増加し、さらには地域の核となっていた既存の大型店も郊外に移転してしまうなど、連鎖的に商業機能が低下してきた(図参照)。

駅前・大門地区の空き地。空き店舗・駐車場分布図(平成11年現在、『函館市中心市街地商業等活性化基本計画』より作成)
 総じて、居住環境上の問題などから若年者層が移動・流出し、高齢者層が継続して居住するなかで地区の人口減少と高齢化が進行して、それに伴って地区の商業機能が低下しているのが実状といえる。
 一方、居住地としての西部地区が衰退するなか、元町・末広町を中心とした函館山山麓地域では、急速に増加した観光客を背景に、観光施設や土産品店、飲食店などが新設されるようになる。

再生された倉庫群
 昭和58年には旧函館郵便局が再生され「ユニオンスクェア(現明治館)」としてオープン、昭和63年には港沿いの煉瓦造倉庫群が再生・再利用され、他の歴史的建造物も商業施設へ転用されたり、新たな観光・商業施設が数多く設けられるなどしてきた。さらに、平成2年度からはじまった「歴史的地区環境整備街路事業」等によって、坂道や主要な街路は地域の歴史的な環境に即した整備が進められ、全体として地域は観光地としての色彩を強めてきている。
 観光地としての賑わいがみられるなか、居住地として地区内の定住人口を確保するための施策も進行中で、中堅所得者層を対象とした新たな公共住宅である「特定公共賃貸住宅」の建設(豊川町・平成9年竣工、弥生町・平成10年竣工)、地区内の民間賃貸住宅に居住する新婚世帯に家賃の一部を補助する「西部地区ヤングカップル住まいりんぐ支援補助金制度」の創設(平成10年から)、用地取得が難しい西部地区などにおいて民間が建設する住宅を市が借上げて市営住宅として供給する「借上市営住宅制度」の創設(平成11年から)と、新規の住宅関連施策があいついで打ち出されている。
 函館湾に面し、背後に函館山を擁するという豊かな自然条件と歴史的な遺産に恵まれたこの地区は、居住者にとっても「良いところ」との声も多く聞かれていた(昭和53年7月27日付け「道新」)。
 近年の調査(平成8年度『市民アンケート調査報告書』)でも、ほかの地区に比べて周辺の緑や景観、道路といった「快適さ」の項目では依然として高い満足度を示しており、現在も居住地としては高い評価を受けているといえよう。

移転前の市立函館病院
 しかし、空洞化は商業機能だけにとどまらず、日用品の買い物や通院、その足となる交通機関といった居住地としての基本的な生活機能の低下にまで及び、地区内の住民の日常生活にも大きな影響を及ぼしてきた。
 平成12年10月、函館圏域の中核的な医療施設であるとともに長く地域の住民生活を支えてきた市立函館病院の港町への移転は、この地区の衰退にいっそうの拍車をかけたとされる。
 観光地として、そして住民の生活する街としての2つの顔を持つ同地区であるが、今後は、このような西部地区の魅力を生かしつつ、老朽住宅や狭小宅地に対する対応など、この地区の構造的な課題に対する根本的な施策の展開が求められているといえよう。(山本真也)
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