通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 教育委員会制度の改正
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教育委員会制度の改正 P543 教育委員会が公選制で発足したことはすでにふれたが、その後政府は、教育委員会制度を任命制に改正することを提案していた。社会党の統一、保守政党の合同による保守と革新の対立のなかで、多くの反対を押し切って、強行採決で成立した新教育委員会法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)によって、昭和31(1956)年に教育委員の任命制度が実現することとなった。この保守と革新の対立は、さまざまな形で教育現場にも大きな影響を及ぼすことになったが、それは後に述べることとする。昭和31年10月1日付けの「北海道新聞」によれば、北海道各地を見渡すと、教育委員の勢力は保守と革新がほぼ均衡を保っていて、新顔が6割、女性の委員は6名であったと報道されている。函館でも市議会の同意を得て、市長による教育委員の任命がおこなわれた。任命制最初の5名の委員は表2−38のとおりで、教育委員長に西田乙五郎、教育長には吉田政雄が選出された。川崎八重は、全道で6名と数少ない女性委員の1人となった。
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