通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第5節 都市構造と住文化の変容
2 高度経済成長期における住文化の変貌

聞き取りによる住生活の変遷

函館市民の居住環境の実例

テレビとテーブル

電気洗濯機・電気冷蔵庫・ご飯炊き

暖房の変化

住文化における高度経済成長期の意味

住文化における高度経済成長期の意味   P521−P522

 以上の聞き取りによる話の内容からみて、今や函館でまったく当たり前と考えられている生活形態は、高度経済成長期の昭和30年代のなかば頃に実現していることになるだろう。この時期に函館市民の生活が大きく変化したのであり、都市と住文化の転換とみてよいと思われる。ただ一方で、このような動きは日本列島全体の変化に対応しているのであり、都市・住文化という観点からみると、中世社会から近世社会への移り変わりを背景とする1600年前後の近世城下町建設以来の大きな転換点と考えられる。もちろん函館は城下町ではないが、幕末から明治・大正を通じて本州の都市のあり方、そして住文化が移入され、継承されてきていることは『函館市史』都市・住文化編で述べられているとおりである。ここで聞き取りによって明らかになったことは、都市構造のみならず函館の住文化の変容過程そのものが高度経済成長期という日本列島全体の変化に対応しているということであり、たとえば暖房器具の変化にともなう生活形態の変容などに典型的に示される函館住文化の独自性も、そのような枠組みのなかで理解するべきであろう。
 ともかく、函館において生活が大きく変わったのはあとからみると昭和33年頃から36年頃という話が多かった。個々の家によって事情は多少違うが、テレビが入ってストーブが石炭から石油に変わり、電気洗濯機や電気冷蔵庫、電気釜も入って生活が便利、楽になったという話が懐かしく語られる。ただ一方では、楽になったその分余分に働くようになったという話(昭和9年生まれ・日吉町)もあった。高度経済成長を支えたのは一般庶民であり、楽になったという実感もそこそこに、ひたすら働いた函館市民が多かったという方が生活の実体に近いかもしれない。
 最後に、結果的にいえることではあるが、住文化という観点から、明治・大正・昭和と継承されてきた函館の日常の暮らしのあり方を、聞き取りという方法によって良好に記録できる最後の時期が、1990年代であったということも強調しておく必要があるだろう。すなわち、住生活にともなう大きな変化は、やはりこの高度経済成長期に著しいのであって、この1960年代以前に成人に達して、その日常生活を自らの生活体験として語ることのできる世代は、もはや2000年の時点では60代以上なのである。今なら多くの方々から生活の細部に至るまで多彩な情報を聞き取りによって得ることができる。このような時期はこれが最後ではないものの、そう長く続くわけではない。函館に限らず、このような作業はまだ積み重ねておく必要があると考える。

□聞き取り協力者名
〈西部地区〉
佐藤実 弁天町  永野弥三雄 弥生町  金沢久夫・博子 船見町  松原福丸 大町  鈴木智 谷地頭町  飯田良三  宝来町
〈中央部地区〉
佐藤勝子 豊川町  橋本キクエ 東川町  川村礼子 栄町  水上久美子 栄町  吉田幸平 大手町  本間温子 旭町
〈東部地区〉
中田幸一・悦子 万代町  伊藤美枝 新川町  新出孝子 松川町  岩岸あやの 松川町  石川きみよ 松川町  中瀬とき子 杉並町  白井栄子 杉並町  青木誠治 時任町  伊藤郁子 松陰町  佐藤正五・啓子 人見町
〈郊外〉
北出靖子 上湯川町  木村石雄 志海苔町  木村キヨ 古川町  倉部善太郎 石崎町  永田勝雄 赤川町  木村孝太郎 赤川町  長崎ミサ 神山  小柳勲 神山  高橋豊 鶴野町  中谷勝 日吉町
〈市外〉
種田英治 上磯町中央  下田悦郎 上磯町中央  熊谷孝康・明子 上磯町中央  高坂りゅう子 大野町千代田

□調査担当
玉井哲雄
大石真己(千葉大学大学院生)
古川裕子(千葉大学学生)

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