通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第4節 交通・運輸体系の変容と函館の位置づけ
3 陸と空の交通

国鉄離れ

モータリゼーション時代の到来

道路の整備

空港の開設

道路の整備   P493−P495


未舗装の歩道(「道新旧蔵写真」)
 戦前にわずかながら、市内道路の舗装化が着手されていたことは、『函館市史』通説編第3巻で述べた。戦後になっても舗装化はなかなか進まず、26年の市道舗装率は、全道一を誇るといっても、10パーセントに過ぎなかった。当時、函館市土木部は舗装が50パーセント実施されるのは、24年後と試算していた(昭和26年12月26日付け「道新」)。
 道路舗装は生活環境整備という点からはもちろん、観光都市という立場からも早急な対応を求められたが、財政的負担が大きいため、市では北海道や国からの資金援助を働きかけた。その代表的な道路のひとつが「湯川海岸道路」である。この湯川海岸道路は、昭和29年に函館土木現業所が着工し、失業対策事業費6550万円、公共事業対策費7923万円で、32年に完成した。函館駅から松倉川にかかる汐見橋まで、約5キロメートルを自動車で5分で結んだ(昭和32年11月27日付け「道新」)。現在の国道278号である。
 もうひとつは、現在の通称産業道路で、湯川から上磯町字七重浜まで、旧亀田市の東側を通る延長15キロメートルの新幹線道路である。着工は昭和28年で、29年に道筋が完成した。道道になったのが51年8月(道道函館上磯線)、4車線舗装が完成したのは54年であった。この新産業道路の完成は、国道278号と国道5号とを結んで、環状線自動車道路を形成する。
 昭和27年の新道路法、29年の道路整備5か年計画の策定以来、計画的に進められた舗装道−自動車道路の整備は、函館の道路網の整備に大きく寄与するが、その特徴は、北海道開発局による国費直轄の国道造成にあり、函館市内ではなく、函館市外と函館市を結ぶ国道の整備にあった。つまり、国道5号、227号、228号、278号である。これらの整備状況は、表2−36のとおりである。
 このような国道の整備は、先にもふれた国鉄ローカル線、松前線(木古内−松前間)の廃止や運行本数の削減に象徴されるように、鉄道運送に大きな打撃を与えている。さらに、現在計画・実施中の道内3つの高速自動車国道のうちの稚内−函館間高速自動車道、なかでも札幌−函館間の高速自動車道の完成後には、鉄道運送は直接に影響を受けるだろう。
表2−36 函館と市外を結ぶ国道
名称
起点と終点
延長
整備状況など
国道5号 函館市若松町       
札幌市中央区北1条東1丁目


km

282.1

前身は札幌本道
昭和28年に一級国道
同40年に一般国道
同32年、函館−森間舗装開始
同44年函館管内全線改良
国道227号
(通称大野国道)
函館市万代町
檜山郡江差町字中歌町

69.8
前身は鶉山道
昭和27年に2級国道
同40年に一般国道
同52年に全線の舗装工事完了
国道228号
(通称松前国道)
函館市万代町
檜山郡江差町字中歌町

152.2
昭和31年に函館−上磯間舗装開始
同32年上ノ国町の天の川橋改良工事
同40年に一般国道
同50年に全線舗装
国道278号 函館市若松町
114.3
昭和45年に一般国道
茅部郡森町森川町
『道南のみち』(北海道開発局函館開発建設部編)より作成。ただし延長は北海道道路史調査会編「北海道道路図」(平成元年4月)による
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