通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第3節 函館の産業経済の変貌
4 函館の商業・流通の変化

商業の再開から復興へ

高度経済成長下の函館商業

商店街の消長と小売業の変貌

小売業の構造変化

卸売業の構造変化と流通センターの建設

小売業の構造変化   P431−P434


五稜郭地区のデパート
 昭和50年代に入ると、消費者ニーズの多様化、消費の高度化といった経営環境の変化に対応し、零細規模商店の減少、総合スーパー、専門スーパー、コンビニエンス・ストアなどセルフ店を中心とする業態の多様化など、小売業の構造そのものに変化が生じた。とくに函館の場合は、函館ドックの不振や北洋漁業が低迷するなかで、地元資本のデパートやスーパーマーケットがしのぎを削っていたが、昭和55年に大型量販店のイトーヨーカ堂と長崎屋が赤川通地区にあいついで開店し、翌年に西武デパートが五稜郭地区に進出するなど大手大資本の大型店が一挙に参入したため、その変動は激烈なものにならざるをえなかった。大型店の出店があきらかになると、それまで外部資本の攻勢をうけたことがなく、鎖国状態であった函館の小売業界をゆるがし、激しい反対運動をおこなった。百貨店法にかわって制定され、昭和四十九年から施行された大店法の規制があったが、お客を誘引する核店舗として出店に期待する亀田側や消費者の動向もあり、売場面積を削減することで出店が認められたのである。
表2−18
道内主要都市小売業の全道シェア
                 単位:%
 
項目
構成比
伸び率
54年
63年
63年/54
札幌市
商店数
従業員数
販売額
売場面積
20.0
24.2
27.2
24.5
21.0
27.4
31.0
25.9
△0.6
23.0
50.3
17.7
函館市
商店数
従業員数
販売額
売場面積
7.2
6.7
5.9
5.2
6.8
6.0
6.0
6.0
△10.6
△1.8
35.5
28.8
旭川市
商店数
従業員数
販売額
売場面積
5.9
6.5
6.6
6.6
6.3
6.8
6.5
6.8
0.3
13.7
29.6
14.9
釧路市
商店数
従業員数
販売額
売場面積
3.7
4.4
4.4
4.3
3.7
4.1
4.2
4.2
△4.0
2.2
27.3
7.9
帯広市
商店数
従業員数
販売額
売場面積
2.7
3.7
4.1
3.2
3.2
3.7
4.1
3.5
10.0
8.9
29.3
22.1
北見市
商店数
従業員数
販売額
売場面積
1.6
2.1
2.1
1.8
1.9
2.1
2.2
2.3
7.1
7.2
33.7
38.3
6市計
商店数
従業員数
販売額
売場面積
41.1
47.5
50.4
45.6
42.9
50.0
54.0
48.7
1.3
17.7
44.0
19.3
全道計
商店数
従業員数
販売額
売場面積
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
△5.6
8.7
32.0
11.3
平成元年度版『北海道経済白書』より作成
 表2−18によって昭和54年から昭和63年にかけての道内主要都市の小売業の動向をみてみると、函館は対全道比で商店数が激減し、従業者数が低下するなかで、販売額、売場面積とも大幅に増加している。販売額の伸び率は35.5パーセントで、札幌の50.3パーセントにつぎ、売場面積の伸び率は28.8パーセントで第1位である。零細商店の減少、店舗の大型化をうかがわせ、大型店の出店を反映するものであろう。昭和54年のほぼ同規模の旭川市と比較すると、函館は商店数で1.3パーセント、従業者数で0.2パーセント上回りながら、販売額で0.7パーセント、売場面積1.4パーセント下回っていたことは、もともと商店の規模が小さかったとみることもできる。
 昭和50年代中頃の大型店の急激な出店は函館だけではなく、札幌をはじめ人口10万人以上の地方中核都市に広汎にみられた。その後、大型店の出店は57年から通産省が強力な抑制策をとったため一時停滞した。ところが、この57年から中小商店が減少に転じて、大店法による規制に疑問がもたれたうえ、諸外国から日本の流通システムの封鎖制が指摘されるようになり、再び大型店の出店が活発化し、「日米構造協議」をうけて、平成3年に大店法の改正がなされた。
 昭和57年の函館市の大型店の店舗数は11、店舗面積は12万1286平方メートル、平成3年には、六店舗増加して店舗数17、店舗面積13万8286平方メートルである。平成3(1991)年の函館の小売業の総売場面積は、35万2281平方メートルで、大型店の占拠率は39.3パーセントに達している。
 これら大型店は、駐車場スペースを大幅に拡大し、商圏を広く設定し、幹線道路の建設と平行して進出するため、「ロードサイド店(郊外型店舗)銀座」と呼ばれる商業地域が各地に出現した。函館の産業道路沿いも、その典型である。地価・地代が比較的安く、駐車場スペースが広くとれてマイカー時代に適合しているうえ、交通量も多く、交通アクセスがいいので、広範囲に集客できる利点をもっていた。都市商店街の空洞化につながり、百貨店にとっても手強い競争相手であり、都市の小売業を担ってきた中小小売業の衰退をもたらした。
 また、大手の小売業資本は、大型店の出店に対する規制をかわすために、コンビニエンス・ストアの形態をとったり、地方百貨店の買収による進出もはかられた。ダイエーグループは、昭和52年11月にスーパーのホリタと提携し(53年1月21日付け「道新」)、系列のコンビニエンス・ストアのローソンを多数出店させ、平成6(1994)年棒二森屋デパートを吸収した。市場メカニズムの機能にゆだね、競争を促進させる「流通の近代化」の進行は、零細小売業の淘汰をもたらし、地域経済にとっても多くの問題をはらんでいた。
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