通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第2節 地域振興と都市計画の推進
2 産業構造の変化と新たな都市機能

港湾計画の推移と港湾機能の変化

函館山の保全と歴史的環境の活用

テクノポリス函館の推進と産業の振興

新たな青函圏への取り組み

テクノポリス函館の推進と産業の振興   P353−P355

 観光産業とともに、函館市は産業基盤の強化として製造業の振興をめざしていた。昭和50年7月、通産省内の建設構想委員会でまとめられたテクノポリス(技術集積都市)の基本構想が発表された。人口20万人以上の地方都市(母都市)の近郊に、コンピュータ産業、情報通信産業など先端技術中心の企業群を誘致し、工科系大学、民間研究所など学術研究機関も集め、居住機能も導入した、公害のない潤いのある都市をつくることがねらいである。この基本構想が公表されると、「新産業都市計画の再来」とばかりに、テクノポリス建設地の立候補があいついだ。最終的には全国であわせて38地区が名乗りをあげる過熱ぶりで、函館も同年8月に北海道内4か所の候補地のなかでは真っ先に手をあげた。このなかで函館が道内では唯一の調査地として、昭和56年7月14日に指定された。テクノポリスにかける地元の熱意はなみなみならぬものがあった。それは、函館の低迷打開の期待感につながっている。矢野康市長は、調査都市指定の知らせを聞いて、「昭和二十七年の北洋再開以来のエポック」と、手放しで喜び、辻才次郎函館商工会議所会頭は、「函館の将来を支えるのは、これしかない」とまでいい切った(昭和56年6月10日付け「道新」)。

テクノポリス・シンボルマーク
 テクノポリス函館は、昭和59年7月14日に地域指定が国から承認された。その内容は、「歴史と伝統にはぐくまれた国際性がひらく北方圏型テクノポリス」が基本理念である。開発対象地域は函館市と上磯、大野、七飯3町の9万6200ヘクタール。目標年次の昭和65年には人口が43万人、工業出荷額が4500億円になると推定している。函館空港と函館港臨海部などを結ぶ新しい環状道路を軸に、生産、研究開発、居住の機能の中心になるメーンゾーン、函館市と上磯町の沿岸地域の海洋関連ゾーン=A七飯町の大沼と大野町に広がる国際交流・保養レクリエーションゾーンの3つで構成し、産業面では地域の特色を生かした海洋関連産業群の形成に重点を置いている。工業用地は上磯町のアジア石油保有地17ヘクタール、七飯町の農工団地19ヘクタールと、函館市内に新たにつくる臨空港工業団地15ヘクタールの51ヘクタールを造成する。また住宅と住宅用地は、平成2年度までに新たに1万9000戸、366ヘクタールの用地が必要とし、旭岡ニュータウンのほか、市街地再開発などで対応する計画である(昭和59年7月13日付け「日経」)。
 まちづくりとしてのテクノポリスは、当時の市長柴田彰によれば1次、2次、3次産業の調和と、産・学・住のバランスを考慮した総合的なまちづくりであり(昭和59年7月17日付け「道新」)、函館商工会議所会頭川田寛も「地場に新しい産業構造をつくりあげるのが最大の狙いです」と語り(7月18日付け「道新」)、先端技術の集積とともに関連する大学の必要性を指摘している。テクノポリスの原点にある未来のまちづくりについては、当初から「生産部門はともかく、研究開発部門が進出するにはよほど生活環境がよくなくては研究者が抵抗する」という指摘もなされていた(7月14日付け「道新」)。
 最初のテクノポリス函館開発構想は、昭和60年までの起動期、平成2年までの概成期、平成12年までの成熟期の3期に分けた段階戦略を設定してきた。しかし、時代の変化を考慮し、第2期テクノポリス函館開発構想は、21世紀を展望しつつ、平成12年度を建設の目標年次とし、期間を平成3年度から7年度までの「成長期」、平成8年度から12年度までの「開花期」の2期に分けている。さらに第2期開発構想の開花期を「新テクノポリス函館開発構想」に修正し、高度技術社会と環境との調和をはかるとともに、人に優しい新しい地域づくりをめざしている(『新テクノポリス函館開発構想』)。平成13年以降は、テクノポリス法から「新事業創出促進法」に基づいて「高度技術産業集積活性化計画」の策定へ移行していくことになっている。
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