デジタル版 通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 港湾計画の推移と港湾機能の変化 |
港湾計画の推移と港湾機能の変化 P348−P351 北海道の南の玄関口として、北洋漁業の基地として長い歴史を誇る函館港も、戦後の様子は、「この港は戦後十年の間ただ眠っていたとしか思われない」と語った当時の税関長の着任の感想からも類推できるように停滞気味であった(昭和33年2月25日付け「道新」)。港勢を端的に示す海運貨物扱い量(昭和39年度)をみると、室蘭についで2位であるが、青函搬送分を差し引いた一般貨物扱い量では5位という実績であった(昭和40年8月18日付け「道新」、図2−9参照)。
このような函館港に関連する事業全体が沈滞するなか、昭和56年3月23日に港湾計画の全面改訂が運輸大臣の諮問機関である港湾審議会で承認された。函館港の港湾計画改訂は、46年3月に決められた従来の計画を改めるというもので改訂の柱は、(1)昭和46年3月に決めた港湾計画のうち、矢不来地区の分を経済、社会情勢の変化に伴い削除する(2)大型外航船入港などに対応し、公共埠頭を整備する(3)港湾発生貨物の円滑な流れを確保するため、臨港交通施設(湾岸道路)を建設するということであった。緑の島の造成も含まれており、工業港より商業港としての機能へ改訂されている(昭和56年3月24日付け「道新」)。 函館港の管理者である函館市は、昭和63年度から2年計画で国の補助事業「ポートルネッサンス21」を実施した。この事業は、運輸省の「二十一世紀への港湾」をテーマとする函館港の将来像のための基礎調査である。函館市は、この基礎調査をもとに「ポートルネッサンス21」の計画案を作成し、平成3年度からの国の新港湾整備10か年計画に盛り込んだのである。「ポートルネッサンス21」が想定するのは30年後、西暦2020年の函館港であった。プランの基本的視点は「流通拠点港湾としての拡充」「港と一体化した地域産業の生産・流通機能の強化」「国際観光・レクリエーション港湾としての整備」「ウォーターフロント整備など親水・にぎわい空間の創出」の4本柱である。具体的には臨港地域を4地区に分割し(1)弁天地区をマリンパークなどの海洋性レクリエーションゾーン(2)末広・大町地区はイベント広場を中心とした生活・文化ゾーン(3)若松地区をメモリアルシップや総合交通ターミナルビル、コンベンション施設などの交流・人流ゾーン(4)港町地区を大型船埠頭などの物流・生活ゾーンと位置づけ、湾岸道路でアクセスするというものである(『函館港湾再開発調査報告書』)。 このプランの背景には、オイルショック後の造船不況、北洋漁業衰退に伴う漁業基地としての役割低下、青函連絡船廃止といった函館港を取り巻く厳しい現実がある。旧函館ドック跡地、有川埠頭など臨港地区には35ヘクタールに及ぶ広大な遊休地を抱えているほか、緑の島の具体的な活用法も懸案のまま残されていた。華やかなプランを裏返すとかつて北海道の最重要港湾として栄えてきた函館港が、従来の方向ではもう活路を見出せなくなり、プラン実現の可否が生き残りの鍵を握っている、シビアな側面を併せ持っている現実があった(平成2年1月1日付け「毎日」)。
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