通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 旧漁業権の消滅 |
旧漁業権の消滅 P162−P164 新漁業法は昭和24年11月第6回臨時国会を通過し、12月15日公布された(高橋泰彦『新漁業法はどのように行われるか』)。こうして、明治漁業法に基づく旧漁業権は、2年間の経過措置を経て、26年9月1日すべてが消滅した。消滅時に存在した市内の定置・特別漁業権は、「免許漁業原簿」によると、合計90か統。所有形態別の漁業権統数は、漁業会有が24か統、共有が38か統、個人有が28か統であり、漁業会有と共有形態などの団体所有のものが個人所有を大きく上回っている(表1−23)。
後でもふれるが、旧漁業法の場合、規模の大小に関係なく、「漁具を定置する漁業」は、すべて定置漁業に入れていた。しかし新漁業法では、小人数でも操業可能な小規模な定置漁業(網の建場の水深27メートル以浅)を、定置漁業権から除外して、小型定置漁業として漁業協同組合が管理する共同漁業権に入れている。 新漁業権の免許は、新法でも旧法と同じく、行政庁(都道府県知事)の権限のもとにおこなわれることになった。しかし、新制度では、漁民代表、学識経験者などで構成される海区漁業調整委員会が実質的権限をもち、事前の調査と関係漁民の要求に基づいて策定した漁場計画を公示し、委員会が申請者を法定の審査基準によって選考して漁業者を決め、それを知事が免許するなど、免許行政の民主化が図られることになった(前掲『新漁業法はどのように行われるか』)。 漁業権の切り替えの審議に当たる海区漁業調整委員会委員の選挙は、昭和25年8月15日、全国一斉に実施された。海区については、当初海面利用の面で共通する区域を単位に、ほぼ市町村ごとに設けることになり、函館の場合、函館市と銭亀沢村が1海区となり、函館湾海区漁業調整委員会が設置されることになった。ちなみに、漁業調整委員会発足当初の渡島地区は、7海区(松前西部、福島木古内、函館湾、恵山、茅部郡南部、茅部郡北部、八雲長万部)に分かれていた。昭和29年から函館湾海区と恵山海区が合併して「渡島東部海区」、松前西部と福島木古内が合併して「渡島西部海区」、茅部郡南部と茅部郡北部、八雲長万部が合併して「渡島北部海区」の3海区になり、37年から渡島管内3海区が合併して現在の「渡島海区漁業調整委員会」に統合され、現在に至っている。 第1回の函館湾海区委員選挙の投票では、上記地区に居住する漁業者と漁業従事者によって投票がおこなわれ11名の委員が当選した(昭和25年8月17日付け「函新」)。これに知事が選任した学識経験者2名と公益代表1名が加わり委員会が構成された。会長は大出邦一郎、副会長には木村竹太郎と久島喜代吉が選ばれた。なお委員会の事務局は函館市役所に置かれた。 函館港湾海区漁業調整委員会では、25年10月10日より漁場計画策定の審議に入り、翌年5月15日、海区としての最終案をまとめて北海道水産部に提出した。北海道はこれを受け、6月20日、全道の漁場計画を一斉に公示して申請の受付を開始し、7月15日に申請を締め切って道内各海区漁業調整委員会が審査をおこない、9月1日、北海道は新漁業法に基づく漁業権免許をおこなった(『北海水産』昭和26年6月7日、昭和26年9月1日付け「道新」)。函館市内に設定された漁業権は、共同漁業権が4件(表1−24参照)、定置漁業権は22件(イワシ定置11件・マス定置11件)で、定置漁業権は改革前に比較して大幅に減少している。これは漁業価値が失われている漁場の整理と、前述のように小型定置が定置漁業から共同漁業に移されたことによるものである。
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