通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ マッカーサー・ライン |
マッカーサー・ライン P158−P159 ここでマッカーサー・ラインについて概略を述べておこう。日本が占領下におかれてすぐ、昭和20年9月2日の指令第1号をもって、一切の船舶についてGHQの指示がない限りは移動が禁止じられた。そのため、沿岸漁業の漁船といえども許可なくして出漁できない状態になったのである。食糧問題で悩んでいた日本政府は、漁船の操業を要請し、9月14日に木造船だけは沿岸12カイリ以内での操業が認められ、さらに9月27日には図示した範囲内(下図の2部分)での遠洋漁業の一部が許可された。いわゆるマッカーサー・ラインと呼ばれるものである。漁区面積はおよそ63平方カイリであった(百瀬孝『事典 昭和戦後期の日本(占領と改革)』)。その後マッカーサー・ラインは図でみるとおり拡大されていったものの、しばらく日本の漁業はこの狭い海域内でしかおこなえなかったのである。
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