通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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序章 戦後の函館、その激動の歴史と市民 復興期の函館経済の諸相 |
復興期の函館経済の諸相 P25−P26 次に復興期における函館市の産業構造の特徴についてふれておきたい。戦前の函館の経済は、北洋漁業の基地であったことから、どの産業分野においても多かれ少なかれ北洋漁業に依存していたし、「北洋物」を中心にした海産物市場の存在は非常に大きなものであった。それだけに敗戦直後は北洋漁業の喪失が函館市の経済全体に大きな打撃となったことはいうまでもない。これをカバーしたのが先にみたように、スルメイカを中心とした沿岸漁業の発展であった。その後は、製造業を中心にして諸産業の生産額が回復して、沿岸漁業への依存度は次第に低下していった。この点に復興期における函館経済の特徴をみいだすことができる。ではこうした経済構造のなかで、当時の函館市民はどのような産業に従事していたのであろうか。敗戦直後の昭和22年から「国勢調査」の数字があるので、「無業」を除いた産業別就業者数のうち、上位第5位までの業種の性格を指標にしてこの問題を考えてみたい(表序−2)。上位5位までが昭和22年では全体の78パーセント、25年では82.4パーセント、30年では82.2パーセントを占めていた。
ともあれ、敗戦直後の函館の経済は、イカ釣り漁業を中心とした沿岸漁業と製造業および卸売・小売業・運輸通信業などによって支えられ、その後経済復興が進むにつれてサービス業や建設業が次第に伸びてきたこと、また市民生活を支えるうえで一貫して大きな役割を果してきたのが製造業であったことを知ることができる。しかも北洋漁業が再開された昭和27年を境にして製造業の総生産額が急速に増加してが、急成長を遂げたのが繊維工業と食料品工業であった(第1章第3節参照)。こうして函館の経済は北洋漁業の再開を大きな契機として前途に明るい兆しがみえ始めてきたのである。 |
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