通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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序章 戦後の函館、その激動の歴史と市民
第1節 混乱から復興へ

戦争による大きな惨禍

「玉音放送」と函館市民

占領軍の上陸と函館市民の生活

引揚者の窓口

人口の急増

あいつぐ民主化政策

天皇の「人間宣言」と「日本国憲法」の公布

食糧難と失業問題

市民の命を支えたスルメイカ

北洋漁業の再開と「北洋博」

復興期の函館経済の諸相

北洋漁業の再開と「北洋博」   P25

 函館経済がこうした問題に遭遇していた昭和27年4月、対日講和条約の発効によってマッカーサー・ラインが撤廃されるに至った。このマッカーサー・ラインの撤廃、すなわち北洋漁業の再開は、函館の漁業関係者をはじめ市民に大きな希望を与えた。27年5月1日、戦後初の北洋漁業に3船団が「試験操業」として函館港を出港した。この第1次試験操業で大きな成果をおさめたことから、出漁船団の規模は年々大きくなる一方で、また昭和29年の第3次出漁からは、試験操業の域を脱していよいよ本格的な操業に入ることになった。昭和28年には戦前・戦中に活躍した函館在住の漁業家たちが函館公海漁業株式会社を設立し、母船経営に参入した(第1章第3節参照)。
 こうしたなかで、昭和29年7月、北海道・函館市・函館商工会議所の3団体が主催団体となり、「北洋漁業の再開を記念」し、「躍進する水産業の現況及び日本産業の基盤をなす産業・科学・文化・教育・観光などの粋を網羅し、加えて八〇有余年に及ぶ北海道開拓の真姿を広く内外に紹介」することを目的に、函館市で「北洋漁業再開記念北海道大博覧会」(略称「北洋博」)を開催した(第7編コラム18参照)。開催期間は同年7月10日から8月31日に至る53日間であった。当時函館市の財政事情はきわめて厳しい状況にあり、そのなかであえて3億円(28年度函館市予算額の約20パーセントに当る)もの経費をかけて「北洋博」を開催した理由はどこにあったのか。この点については、この「北洋博」の関係者の回想座談会で、当時の宗藤市長や函館の経済界の人びとが「函館の活性化」のために「起爆剤としてやるべきだ」と強く主張し、それが市と経済界をして実施に踏み切らせた大きな要因であったと指摘している。(原田健三・北島博治・井上清「座談会・昭和二九年の″北洋博″を語る」『地域史研究はこだて』第7号。
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