通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 開戦と運輸事情 |
開戦と運輸事情 P1165−P1166 日中戦争に続く太平洋戦争の勃発は、国鉄、青函連絡船に対する輸送需要を激増させた。特に、貨物輸送需要の激増が著しい。輸送需要の内容にも変化があった。太平洋戦争以後、一般貨物船、船員の徴用による海運輸送力の減少が、勢い、唯一の国産燃料としての石炭への輸送需要を緊急ならしめたからである。開戦後の青函間輸送は、到底、従来の定期客貨船のみでは対応できず、石炭輸送のための機帆船動員、貨物専用船の増強、貨物専用船のための専用埠頭の緊急増築が国鉄の戦時課題となる。貨物程ではないが、旅客の輸送需要も増大した。軍隊輸送が緊急問題となり、何より優先した。外に、学徒動員、女子挺身隊等の輸送需要が付加された。春秋の鰊漁夫等季節労働者の輸送も相変わらず重要課題である。しかし、そのための輸送設備は、燃料の増加使用が認められないため、やむなく、夜間運航停止(津軽海峡に浮遊機雷流入という理由で)、乗船制限などの旅客制限措置を講じた。 昭和16年12月8日、米英に対する宣戦布告と同日、客便の夜間運航の当分の休止(18年10月1日、旅客便夜間運航再開)、19年3月乗車券発売制限が実行された。何よりも、青年男子の軍隊徴用により、男子従業員の不足が顕著となる。昭和18年7月1日、男子就業禁止令により男子転職が制限され、女子職員の採用が増加した。戦争前まで、函館運輸事務所の職員構成にみられるように、女子従業員は、原則として、雇用されなかったのである。 ところで、函館を含む道南の鉄道及び関連民間事業は、函館運輸事務所、保線事務所が管轄していた。それが、昭和17年9月11日、鉄道局官制が改正され、運輸・保線両事務所が廃止され、各管理部が設置された。18年11月1日、官制改革があり、鉄道省は廃止、運輸通信省と拡大された。昭和20年5月1日、前述の通り再び通信部門が分離し、運輸省となった。 |
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