通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 2 昭和初期の教育 1 初等教育 続く二部教授 |
続く二部教授 P675−P676
大火後の二部教授については、「弥生小学校調査」は、特に、「尋一、尋二の低学年に止つてゐた二部教授が尋六以外の高学年にも及んで行はれてゐること」「一人の教師が午前午後の二学級を担当してゐた二部教授が一人一学級を担当することになったこと」の2点で、それまでのものと違うことを指摘している(『北海道教育』第191号)。もちろん、児童にとっては不十分な教育であることに変わりはない。函館市の二部教授は、戦前期はもちろん、戦後にも持ち越され、「慢性的なガン」とみられるようになることは、すでに触れたところである。 昭和8年5月現在、市内には、市立・道庁立合わせて23校(分教場も含む)の小学校があり、尋常・高等科合わせて男子1万6578人、女子1万5252人の児童が就学していた。小学校の内、尋常科単独校は14校、尋常高等科の併設校は6校、高等科の単独校は函館女子高等小学校の1校だけであったが、尋常高等科の併設校の内、高等科に在学している児童はすべて男子であった。次にこの時期の市内小学校の状況を掲載しておく(表2−165)。 これらの学校も、翌昭和9年3月の大火により西部および中心部に位置していた汐見・住吉・宝・第二東川・東川・高砂・新川・女子高等および大森の各小学校と、高砂・大森の尋常夜学校が焼失し、統廃合の結果、焼失区域に新たに大森小学校と東川小学校が誕生することになるのである。
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