通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 2 昭和初期の教育 1 初等教育 学齢児就業率の上昇と教育費の重圧 |
学齢児就学率の上昇と教育費の重圧 P674−P675 昭和期に入っても学齢児の就学率は順調な伸びをみせていた。99パーセント台半ばを上下しやや停滞気味の札幌、小樽の両市に対して、全道の数値とほぼ同様に着実な伸びを示しているといえよう(表2−160)。就学率の上昇はそれだけ在学児童数が増加したことを意味するものである。表2−161に見るとおり数百人、年度によっては1000人を越す児童数の増加がみられるのである。それだけ教育の機会が市民の間に拡大していく様相を示すもので、明治5年の「学制」頒布の際に、「学事奨励に関する被仰出書」に掲げられた「邑に不学の戸無く家に不学の人無からしめん事」が、ようやく実現しつつあったといえよう。年々増大する在籍児童数は、その分だけ学級数の増加をもたらすものであり、市の財政は昭和期に入っても依然として苦しいものであった。市の歳出予算に占める教育費の割合は時により20パーセント台の数値を示すことがあるが、大部分は30を越え40パーセント台に達し、時には50パーセント台の高率に及ぶことさえあるのである。これを全国の市の歳出予算に占める教育費の比率と比較すると、函館における教育費負担の重さが一層明らかとなる(表2−162)。 市歳出予算経常費中の小学校費の比率は、さらに高い比率の負担の状況を明らかにしている(表2−163)。
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