通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 1 大正デモクラシーと教育 5 社会教育 青年訓練所 |
青年訓練所 P668−P670 文政審議会の答申に基づいて大正15年「青年訓練所令」および「青年訓練所規程」が公布され、青年訓練所が制度化された。この制度が軍事教育を目的にするものであることは、訓練時間の配当から明らかである。規程によれば、「四年ヲ通シテ修身及公民科百時、教練四百時、普通学科二百時、職業科百時ヲ下ラサルモノトス」とされており、中等学校以上の学校への陸軍現役将校の配属に対応するもので、教練の実施を学生生徒以外の青年にも及ぼそうとする意図を明確にしている。函館における青年訓練所は、大正15年現在、訓練所数9、生徒数872名、指導員は学科31名、教練41名で発足している。大正期には、学齢児就学率の向上に伴って、在籍児童数が増加し、財政上の理由から相変わらず二部教授が実施され、市民の間で、学校増設によって二部教授を解消することを求める世論が高まっていった。こうした動きに応じて、大正末期には小学校の新設が実現している。しかし、それでもなお十分ではなく学校の大規模化は依然進んでいる。 一方、この時期には、学齢児童のうちの就学猶予者に教育の機会を保障する尋常夜学校が設置され、昼間労働に従事する青年に高等普通教育の機会を用意する中等夜学校が設立されたことは、教育の機会均等の前進を意味するもので、注目されるところである。 この時期の締めくくりとして、次のページに、市制施行の翌年、大正13年10月現在の市中の学校分布を『函館市学事一覧』(大正13年度)から再掲しておく(図2−15)。
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