通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第4節 戦間期の諸産業

7 大正・昭和前期函館陸上交通

5 悪道と海岸町の踏切

道路悪化

道路舗装開始

海岸町踏切移転

海岸町踏切移転   P573−P574


踏切撤去後の電車軌道延長工事(『走りました80年』)
 若松町から海岸町、亀田への道路伸長に重大な隘路となったのが、海岸町の鉄道踏切である。大正13年8月27日「函館新聞」は、「海岸町踏切撤廃、海岸線開通」につぎのように報じている。「海岸町の鉄道踏切は、殆ど市内と交通遮断の状態にあり、電車の開通も無かった故に、踏切撤去は、多年函館市の希望である。其の筋へ請願運動行われたが、遂に撤去に決し、いよいよ本日より海岸線開通の運びとなった。実に鉄道踏切があったが為に、海岸町は函館にして市の態裁をなさず、電車通せず、宛も未開地の状態であった。然るに、之に先立ち、近年人道整備せられやや交通の便を来した。鉄道踏切撤廃により電車も開通することとなると、此の方面は面目一新して発達することになるであろう。」
 海岸町鉄道踏切撤去海岸線敷設工事は、大正13年1月4日竣工した。鉄道直営工事(保線事務所担当)工費約24万円であった。この踏切は、有川、久根別、大野、上磯方面からの蔬菜類を海岸町の青物市場に運送する幹線道路(12間道路)上にあり、秋の繁忙期には1日平均400台の荷馬車が通っていたのである。
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