通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 4 函館商工会議所の成立 函館商工会議所の活動 |
函館商工会議所の活動 P372−P376
ではどのような国々との関係が深いのであろうか。昭和5年度では、米国、英国、ドイツ、同6年度でもドイツ、米国、英国、カナダといった諸国が上位を占めているが、昭和14年度の場合には、「支那」が文書収受39件中の15件を占め、文書発送でも、20件中12件を占めている。このように、日中戦争の開始にともなって、この函館商工会議所においても、中国との関わりが強まってゆくのである。 では、より具体的な会議所活動を取りあげてみよう。昭和2年度に会議所が官庁に対し「商工業ノ利害ニ関スル意見」として提起したものは、次のような問題であった。 (1)、水産試験場設置に関する件 一、函館工業学校に採鉱科設置方陳情の件
この問題は、翌14年度にも、北海道商工会議所連合会の意見として、「適当ノ方法ニ依リ会議所ニ経済行政ニ参与スルノ権限ヲ付与スルコト」等を中心にまとめられている(昭和14年度『函館商工会議所事業成績報告書』)。しかし、それが具体化するのは、昭和18年3月の商工経済会法公布により、同年9月に函館をはじめ道内各地の商工会議所が解散し、商工経済会の函館支部として再編されてからのことであった。 |
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