通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実
第2節 水電事業市営化問題
1 佐藤市長と水電問題

函館水電株式会社の創立

報償契約の締結

函館水電の合併問題

買収交渉への取り組み

仮契約締結と反対運動

市長買収案の終結

市長買収実案の終結   P257−P259

 1月7日の市会は朝から詰め掛けた傍聴者で満杯だった。水電買収案が上程され、市長は、1400万円という値段は、「二十数回の折衝の末、会社の最後の申出価格で、何としても譲歩の余地がない」ことや、固より格安の値段であるとは言えないが、契約満了期限前のため報償契約の買収価額で強制することもできない事情を了解して欲しいことなどを説明した。また今後の見通しについては、市の発展に順応して収入が漸次増加することは当然で、市営後は、設備と施設の改良を充分に図るので多少営業費の増加は免れないが、30年後には公債を完済できると説明し、最後に「本事業は本市百年の計を樹立、一般市民の利便を図り永遠に本市の繁栄の基礎を増進するの根底であるので慎重審議の上満場一致の協賛を切望する」と結んだ。
 その後も公正派と非公正派の妥協は成立せず、原案の買収価格を1250万円に修正し、「市長は本修正に基き会社と重ねて交渉」することを条件とする修正案が可決された。しかし会社側は、「今更修正交渉の余地はない」との談話を発表し、市長と会談、仮契約以外の交渉は受諾の意志がなく第三者の調停も煩わす必要がないと述べて物別れとなった。このため市は、道庁や函館商業会議所に調停を働き掛けたが、結局、昭和2年1月17日、岡本専務から正式な契約解除通知が手渡されて佐藤市長の買収交渉は終りを告げたのである。なおこの交渉の終結にあたり、3月31日に市長弾劾市民大会が開かれ、「市長は水電買収決裂の背信行為に対し速やかに其責任を明らかにすべし」と決議されている。
 翌18日の市会に契約解除が報告されると早速電灯動力料値下げ(5月1日から電灯料 2割5分、動力料3割5分)が復活建議され満場一致で採択された。その後、市と函館水電は値下げに関するお互いの主張を譲らず、市は議員協議会を開いて「電灯料を大正九年値上前に復旧せしむることは市当然の権利であるから一歩も譲らない、唯だ動力料の三割五分の値下げは会社の実情を酌み多少考慮すべき余地あり」との「対水電声明書」を発表するに至った(3月23日付「函日」)。このため事態を憂慮した函館商業会議所が調停に入り、4月12日仲裁額(値下げは電灯料約1割3分、動力料約1割7分)が示され、6月16日実施で決着した。
 電灯料と動力料の値下げが一応の決着を見ると、軌道舗装問題が市民の最大の関心事となった。市は大正12年から市内の幹線道路の舗装工事を進めていたが、舗装道路中央の軌道部分が未舗装のため、交通の障害となると同時に舗装路面破壊の原因にもなり、商業会議所からも軌道舗装の速成を要望する陳情書が市長に提出されていた。しかし函館水電は、財政難を理由に舗装工事のための電車賃の値上げを申請、市と水電会社の対峠の姿勢は一層明確になった。市会は10月14日、「電車軌道賃金値上に関する件」を否決、これを受けて水電は再度「乗車賃金値上の件」を市に出願したが、市はこの出願も拒絶した。
 舗装を願う市民の動きも活発になった。10月28日開催された各町衛生火防組合大会は、「水電問題各町代表連合会」を結成し、47か町1万261人連署の軌道舗装要望書を水電に提出、水電糾弾演説会を続々開催した。要望書に対し、水電から回答延期を乞う旨の電報が入り連合会は承認した。しかしその翌日、太刀川善吉監査役を除くすべての重役(藤山雷太会長、岡本忠蔵専務取締役、二木彦七・山本源太・小熊幸一郎各取締役、渡辺熊四郎監査役)が辞任、問題は先送りされてしまった。これに対し各町連合会主催の市民大会では、(1)舗装工事達成を期す、(2)電車賃金値上反対、(3)軌道舗装その他に関し第三者の仲裁を拒否、(4)函館水電と他社の合併に反対、(5)報奨契約の改訂を期すを決議し、函館水電の新体制との交渉に備えることとなった。
 12月、会長に美濃部俊吉、専務取締役に穴水要七らが就任した。美濃部は、明治36年から北海道拓殖銀行頭取を務め、水電事業の役割を高く評価していた人物で、この時は北海水力電気(株)(大正15年創立、王子製紙系)の社長だった。穴水要七は、山梨県の生まれで、富士製紙に入社後、北海道での事業展開の中で動力源としての電気事業に着目して富士電気(株)(大正10年北海道電灯(株)と社名変更)を興し、穴水熊雄と共に積極策で事業拡張に邁進していた人物である。これら函館水電の新重役陣は、これまでとは違い、地元函館にとっては距離感のある存在となっていた。翌3年3月2日、美濃部会長、穴水専務らが佐藤市長を訪問、軌道舗装着手を承諾し、「向ふ三ヶ年以内に完了」する旨回答した。

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